E3で思った任天堂とWii Uの今後

今日はE3の初日ということで、午前中にノキアシアターで行われた任天堂の発表会を見てきました。前日、前々日とおこなわれたマイクロソフトソニーの発表会と比較して、日本でネットから見ていた視聴者の評価は圧倒的にトップで、とりあえず任天堂ファンとしては一安心しました。


しかし、任天堂のE3でのプレゼンテーションのうまさというのは伝統があって、Nintendo 64Gamecubeの時代。一時期、完全にサードパーティーが見放していた冬の時代にも任天堂はE3での展示自体は毎回、大成功。ユーザーの評価も高く、我が道をいくというかんじで、ソニーマイクロソフトの人たちは不気味さを感じながらながらも任天堂は眼中にないというポーズをとってお互い競争しているといった雰囲気が印象的でした。


いつまでたっても売れ続ける任天堂ソフトのじわ売れとクリスマス商戦の圧倒的な強さ、E3でのユーザへの評判の良さ、業界の覇者の地位を一時失っていたときにも任天堂の底知れぬ強さにはみんなが一目をおいていたものです。


まあ、しかし、今年は日本人が少なかったです。前回のE3来たのは何年前か忘れましたが、そのときも日本人の少なさにびっくりした記憶が残っていますけど、今年のE3は少ないどころのレベルじゃなく、もはや日本人を見つけることすら難しかったぐらいに絶望的に日本人がいない。気持ちいいぐらいにいません。


そんなわけでカンファレンスで任天堂アメリカの社長がダンスゲームのプレゼン中に、ダンスゲームのプレイヤーの衣装を簡単にチェンジできることを、任天堂アメリカの社長みたいに簡単に日本からコントロールして交換できるんだというジョークを飛ばして会場が涌いたときにも、とてもドキドキして素直に笑うことができませんでした。いや、ちょっときつすぎでしょ。ほんと、今回、大丈夫か日本と心配になりました。


さて、今回の発表会の感想を正直にいうと、Wii Uのコントローラが本当に必要なのかの疑問への回答は任天堂はうまくできなかったと思います。ただ、それで心配する気にはならなかった。そこが任天堂の凄いところです。


任天堂が心配されるのはいまにはじまった話じゃないのです。むしろ、DS/Wiiの大成功した後のこの数年間が例外だったのです。もともと任天堂の戦略はいまいち意味不明なのです。


Nintendo 64GameCubeもみんなこれで本当に大丈夫なのか?なんか間違っているんじゃないかと思ってました。


で、実際にそのときは任天堂は冬の時代でした。それを打破したのはもちろんDS / Wiiの大成功ですが、よくよく思い出してみると、DSとWiiもみんな不安に見守っていたのはまったく同じでした。


特にWiiのコンセプトがあまりにもあざやかで、しかも予想を裏切る大逆転を見せたため任天堂の戦略の凄さというのに伝説が生まれました、考えてみれば任天堂の大逆転に決定的な影響を与えたのはWiiではなく、DSでした。DSが発売されたとき、みんな本当にデュアルスクリーン+タッチパネルが画期的だと思ったでしょうか?Wiiは画期的だった。マイクロソフトはすぐにKinnectを対抗して開発しました。でも、PSPはいまだにデュアルスクリーンではなく、タッチパネルでもない。だれもあのDSの最大の特徴を成功要因だとは判断していないわけです。


DSを勝たせたのはソフト。それも任天堂が自社開発したソフトの力です。


今回もWii Uというハードの仕様にみんなが納得しているわけではないでしょう。でも、結局は任天堂の純正ソフトがWii Uの機能をいかしたびっくりする体験を与えてくれるのでしょう。


任天堂はそういう勝負をできる世界で唯一の会社です。


そういえば、今回、ニンテンドーランドという仮想テーマパークが発表されましたが、前日、ディズニーランドで今月中旬にオープンするカーズランドを見せてもらいました。カーズランドは素晴らしい出来だったのですが、もっと印象的だったのはディズニーのひとの言葉です。ファイナンス部門のひとがテーマパークの製作もコントロールしていたらいいものはできない、お金をかけてクオリティの高いものをつくったらお客が喜んで、それは結局ビジネス的にもプラスになる結果を生むことができるということを証明してファイナンス部門のひとにも分かって欲しいんだ、というようなことをいっていたのが印象的でした。


これはコンテンツをつくる仕事に携わるひとすべてにあてはまる言葉でしょう。


任天堂もそういう勝負をしています。
そもそもゲーム機を安くしてソフトで回収するという、いまでは当たり前のゲーム機のビジネスモデルを最初につくったのは任天堂です。


まあ、ゲーム会社だってそんなもんですけどね。カプコンみたいにばくちみたいな商品開発をしつづける会社がある業界というのはやっぱりすごい。


たぶん、年末に発売されるだろうWii Uは最低6台、そしてラウンチタイトルは全部3つずつを自分一人だけ用として購入するつもりでいることをあらかじめここに宣言しておきます。応援とかじゃなく、たんに欲しいもん。全部の部屋と実家とか自分が移動する場所すべてにおかなきゃ。

ひきこもりのための新社会人生活

先週の月曜日の午前中、なんとなくネットサーフィンしていたら、なんと会社では入社式をやっていることがわかった。なるほど。去年までは入社式の予定がいつのまにか入れられていて、めんどくせーと、毎年、無視して行かなかったのだが、とうとう今年は連絡も案内も来なくなったらしい。いつのまにかやっていたのだ。


さて、というわけで4月は新社会人がたくさん誕生するシーズンである。新卒信仰を批判するひとは多いが、会社にとってやっぱり新卒者とはとてもいいものだ。社会人生活なんて、たいていはろくなもんじゃないから、数年たつとどんなにフレッシュでやる気のある人間でもだんだんとすれてくる。中途採用でもある程度年齢が上になるともう新しいことに挑戦できるひとはなかなか採用できない。その点、新卒はなにしろ世間を知らないので、面倒くさいことあんまりいわないし、とりあえず挑戦しようというやる気があることが多いので、やっぱり会社にとって使いやすい人材であるというのは否めない。


とはいえ、そのことをうまく利用し、大量に新卒を採用しては過酷な営業をさせて2,3年で使い潰しては入れ替えるというひどい企業も世の中には存在する。というか、むしろわりと一般的な手法であるとさえいえる。学校の中でコミュニケーション強者に虐げられてきたひきこもりのみなさんだとは思うが、社会とはそんなコミュニケーション強者すら、使い捨てにされる恐ろしいところだから、みなさんみたいな、ただでさえ人付き合いが苦手で、あなたを助けてくれる仲間との絆なんて二次元の中でしかみたことがないというひとたちは本当に大変な未来が待ち受けているに違いない。


そういうわけでひきこもりのみなさんがどうやってこの社会の荒波をくぐりぬけていけばいいかについて、いいかげんなアドバイスをしたいと思う。


まずは新しく社会人になれたひきこもりのみなさんに心からおめでとうといいたい。よくぞ就職できました!


最近の企業はどこもかしこもコミュニケーション能力を重視するので、その時点でひきこもりには大変なハンデキャップだ。にもかかわらず、なぜ、就職がうまくいったのか?学歴だけはたまたまあったか、主に理系の場合であれば専門的な能力があると判断されたか、なにかコネがあったのか、だれでもよかったのか、まあ、だいたいそんなところだろう。


ひきこもりの新社会人にとって最初の難関は、同僚と仲良くなることだ。まだ、だいたい、中学、高校、大学と経験を積んできていればいくら社交性のないひきこもりのあなたでも、これからの職場の人間関係において最初の一ヶ月がどれほど重要かは理解していることと思う。そう、ここで仲のいい友達をつくれなかったら、ずっとぼっちとなる可能性は高い。


とくに同僚の中でも同期入社組というのは連帯感ができやすい。一生の友人となる可能性も高いだろう。会社が新入社員研修をする大きな目的のひとつは同期の社員を仲良くさせることだ。社内に仲良しがいない社員はいくら優秀でも、いずれ会社を辞めてしまう確率が高くなるのだ。また、たとえ会社を辞めてしまっても最初の会社の同期組とは連絡をとりあったりして、後々の人生で大いに役に立つことになる。だから、大学までの友人関係なんてとりあえずほったらかしにしてでも、新しい会社での人間関係の構築にはエネルギーを注いだほうが絶対にとくだ。ちなみに僕は新卒の時、同期の社員と飲みに誘われても、早く帰ってパソコン通信をしたかったのでいつも断っていた。なので会社を辞めて以降、連絡くれるひとはひとりもいない。あ、大学の友達もゼロで、高校だけ、やっとふたりいる。


さて、仲のいい同期をつくる場合にはどういう相手を選択すればいいのだろうか?基本は人間は似た人間とつるむ。だから、ほっとくと同じひきこもりどおしのグループに所属することになるが、ひきこもりというのははっきりいってマイナスの属性なので、できるだけプラスの属性で似た人間とつるんだほうがいい。逆にいうとなにかプラスの属性を磨く努力が重要だということだ。そういえば、このあたり昔のブログ(コミュニケーション能力に本当に欠けるひとの他人とのつきあい方)でも書いた。読み返すと、(いまもそうだが)、当時は今以上に心が病んでいたことがわかる文章だ。


まあ、しかし、ひきこもりが同期と人間関係をつくるのは結構、難易度が高い。まあ、一応、同期のよしみで輪の中には入れてもらえても、たぶん、あなた以外のみんなはもうひとつ内側の輪の中にいること思う。無理な場合は、ここは無駄にあがくのはやめておいたほうが無難だろう。どうせ苦手な分野だ。


同期が難しければ、先輩や上司と仲良くなることに力をそそごう。実はここはひきこもりにとって若干得意な分野だ。やはり同期で仲良くなるというのは基本的には対等な人間関係をみんな望むのである。だから、リア充でコミュニケーション能力高い人間でも立場が上の人間との付き合いは下手ということが結構多い。その点、ひきこもりのあなたはもともと社会的に虐げられた低い地位に慣れているから、上司や先輩との非対称な人間関係のほうが得意なはずだ。そう、求めるべきはあなたを対等な仲間として見てくれ、お互いを認め合った友情で結ばれた仲間なんかじゃなく、あなたのことを使える道具ぐらいにしか見てなくて、たんに仕事上の利害関係でのみ結ばれた支配者なのである。


どういう上司や先輩と仲良くなるべきか?損得で考えるといくつかのポイントがある。たとえば、有能な上司がいいか、無能な上司がいいか?これはあなたが有能かどうかによっても変わる。あなたが有能だったら無能な上司のほうが都合がいい。抜擢されるのはそういうケースだ。面倒見がいい上司というのはどうなのか?しばしば部下と仲良くて会社の愚痴とかを一緒にいいあってくれる上司というのは社内では非主流派で不満分子とみなされている場合の特徴だ。そんなところにいたら、将来の芽はない。基本は社内で主流派で将来有望な上司の下につくのがいいのはいうまでもない。


どこまで会社に人生を捧げればいいのかというのも難しい問題だ。よく日本は企業はブラックで海外の雇用関係はもっと公平で労働者の権利が守られているとかいうひとがいる。たとえば仕事の内容についても、海外だと雇用時に決められた仕事以外はやらなくてもいいが、日本だとどんな仕事でもやらされるし、掃除みたいな雑用まで押しつけられる、とかとか。


ひとついえるのは決められた内容の仕事を決められた時間だけ働けばいいという雇用形態は、一見、労働者に有利に見えるのだが、経営者からみた場合、そういう労働者はとっかえのきく部品のような存在でしかないということだ。そういう労働者ばかりだと、雇用の流動性が高くなるのも頷ける。だってとっかえがきくから。しかし、そういう労働者の給与が高いかというと、そういう仕事ほど実際には賃金は低下する。競争にさらされるからだ。特に現代はそれがグローバルな競争になる。だから、自分自身の損得だけを考えると、いろんな仕事をやっていて、奴をいなくなるとめんどくさい、という存在であるほうがなかなか首になりにくいし、給与も下がりにくい。


それともうひとつのテーマは人生の時間をどれだけ仕事にささげるかであるが、とっかえのきく部品のような労働者になることを目指すなら別だが、そうでないなら、やはり他の労働者と競争するということになる。そうなるとやっぱり人生の時間をなるだけ多く仕事に費やした方が競争では有利になるのは当然だろう。とくに若い時分は残りの人生の幸せを考えると、大変に遺憾ながら、会社のために身を粉にしてはたらくほうが自分にとっても結局は得になるケースが多いだろう。


これは別に残業しろといっているわけではない。プライベートの時間も仕事に役に立つ使い方をしたほうがいろいろと得だという話だ。とくにひきこもりのみなさんにとって、人付き合いのうまいリア充たちとの競争を考えるとその重要性は明らかだ。人付き合いのうまいリア充は今日も明日も会社の同僚、上司、取引先のひとたちと飲み食いしたりして付き合っているに違いない。その時点で差は日々開いているのだ。幸運にも人付き合いのためにとられる時間が圧倒的に少ないひきこもりのひとは、それを仕事に役立つような自分の能力向上だったり、仕事での課題をどう解決するかを客観的に見つめ直すために使うべきなのだ。やはりいつでも仕事のことを考えている、アイデアを出すような仕事だったら、そういう人間しか競争には勝てない。ちなみにぼくはサラリーマン時代はできるだけ早く帰宅して前述のネットだったりゲームしたりマンガを読んでたりして時間を費やしたし、仕事中も半分の時間はネットサーフィンに興じた。身をもってそういう仕事スタイルの無意味さを知っているので、せめてもの贖罪として同じようなことをしている社員は絶対に許さない。


ひきこもりはつい仕事の現実から逃避して、趣味の世界に人生の主軸をおきがちになる。しかし、たいていのひとは仕事をしている時間が一番に長い。その仕事の時間が辛くなるような生き方が得だとは思えないし、実際、仕事で評価されないといろいろと人生に支障を来す。鬱病なんかになったら大変だ。基本、鬱病の薬なんて一時しのぎでしかないから根本的な解決にならない。カウンセラーは根本的な解決のためには環境を変えるべきだ、辞めたほうがいいとか、会社のリストラの手伝いみたいなアドバイスをすることだろう。一時的に働かなくても給与を保証してくれる程度が関の山だ。ただでさえひきこもりは人生を生きることが苦手なのに、さらに困難な道を歩かされることになるのだ。


ひきこもりのひとは、ついつい社会が悪いとか会社が悪いとか、自分の境遇の原因を外部に求めがちだ。まわりは自分を助ける義務があるとか考えてしまう。しかし、はっきりしているのはあなたが正しいかどうかは置いといて、あなたが正しいと思う世の中なんてこないし、会社もたぶん変わらない。あなたを助けてくれるひとの善意を当然と思っていたら、どうせ裏切られるだけだ。結局、頼れるのは自分だけだ。


辛い人生を送った人は自分が傷つかないようにと過度に防衛的になりがちだ。しかし、会社からできるだけ利用されないようにしようという態度は残念ながら、結局はさらに多くのものを人生で失うことになりかねない。ブラック企業に騙される人生はとんでもないかもしれないが、結局は、相手を選んで騙されるほうが幸せになれるんじゃないか。そう思います。

人生とは何かについて考える時

時に人間というのは、苦しかったり、しんどかったり、めんどくさかったりするような選択をわざわざしたがる生き物だ。


ようするに一時の気の迷いというやつである。一時の迷いのはずが一生モノになったりすることもある。


まあ、だいたいは若い時代にそういう心が揺れ動く経験をするものだが、人間は年をくってもそれほど進歩はしないので大人でも気の迷いはある。大人のハシカとおなじく大人の気の迷いもタチが悪い。


ぼくの母が四国のお遍路参りをはじめたのは5年も前だろうか。当初は父と二人でまわっていたが、阿波国徳島県)、土佐国高知県)と半分過ぎたところで父が亡くなり、3年前からぼくが父の代わりについていくことになった。とはいっても、途中、母親の骨折とかがあり、40番札所の観自在寺からはじまるぼくと母親の巡礼の旅は3年前からほとんど進んでいない。現在、寺の数で云うと3つあとの明石寺だ。正直、このまま母が忘れてくれることを祈っていたが、ちゃっかり覚えていて、一昨日、ぼくはひさしぶりに四国まで駆り出された。


現代の日本人の気が迷ったときに自分に課す苦行としては、お遍路参りというのは最高クラスの難易度だと思う。ぼくは本当にいろいろとひどいと思った。そして、ふつうのひとはこのひどさをあまり経験することはないだろうから、そんなお遍路の旅がどれほどなのか書いてみようと思う。


人生を見つめ直すためにお遍路の旅にでた有名人として、まず、思いつくのは民主党菅直人だろう。彼のお遍路を下手なパフォーマンスだと笑う人は多いだろうが、そういうひとはいっぺん自分でお遍路をやってみるといい。本当に大変だから。パフォーマンスだとしても、途中で中断したままになっているとしても、半分以上もやりとげた彼はたいしたものだ。


お遍路をやるひとの人数は年間30万人とも50万人ともいわれる。ただ、そのほとんどがバスなどを使った観光ツアーや自動車でのお参りであり、昔ながらの徒歩でおこなう”歩き遍路”は1%ぐらいしかいない。


もちろん大変なのは歩き遍路であって、菅直人も僕の母もこっちだ。


全長1400キロメートルの行程を歩くにはだいたい慣れた人でも40日かかるという。まあ、定年後かニートならともかく40日も連続した休みはつくれないから、僕と母はだいたい3泊4日ぐらいで少しずつ歩くことにしている。今回は明石寺から大宝寺まで68キロメートルを歩くことが目標だ。まず、これを大変と思うかそうでないか?


3日4日といっても両端の2日は半日しか歩けないから、実質丸3日間で68キロメートル。つまり平均1日23キロメートル。慣れたひとならまったく楽勝だろう。ハーフマラソンと同じ距離だが、こっちは1日かけてあるけばいいのだ。時速4キロメートルだとすると6時間あるけばいいだけだ。お遍路をやったことないひとでもなんとなく頑張ればできそうに思うだろう。


まあ、なんであれ、だいたい頑張ればできると思いこむのは、頑張ったことのない人間に多い症状だ。


確かに1日目はできる可能性が高いだろうが、2日以降がしんどい。マメができてつぶれたり、筋肉痛で歩けなくなるのだ。


本当に努力をするひとは努力の限界は肉体的な限界によってもたらされることを知っている。努力しない人間は、ドラゴンボールの世界のように精神力でいくらでも努力できるはずだと思いこみがちだ。もちろんぼくは後者である。前回も前々回も先に歩けなくなったのは60を超えた母ではなく、息子のぼくのほうだった。今回も目標は達成できそうにない。


お遍路が苦行としてすごいとぼくが思うのは、まず、肉体的に1400キロメートルを歩くということが物量として大変なことともうひとつある。そのわりには、神秘的な体験がほとんど得られないことだ。


宗教的な意味合いもある苦行を人間がしたいと思うとき、自分を見つめ直したい気持ちとか、なにか気持ちをリフレッシュしてくれる神秘的な体験が得られるんじゃないかという期待があるはずだとぼくは思う。


ところがお遍路にはそんな甘い現実はほとんどない。だいたいお遍路というと四国の山道を杖をつきながら歩く姿を想像すると思うが、実際にはほとんどの行程はアスファルトで舗装された道路を歩くことになる。昔、街道として便利だった道は現代でもやはり便利でたいていは国道が走っているのだ。つまりその地方の基幹道路であるから、田舎であっても自動車の交通量はかなり多い。東京でもちょっと郊外にいくとありそうな町並みの中で自動車がびゅんびゅん行き交う道路の歩道をとぼとぼ歩くのが現実のお遍路の姿だ。国道でなければ一本裏の道だが、そこもやっぱり舗装されていて、東京の郊外の裏道といっしょだ。


なんでこんなことをわざわざ四国まできてやる意味があるのかと自問自答してしまう。そーそー、自問自答といえば、お遍路している間に人生のことをいろいろと思索したい人は多いだろう。でも、意外にそういう時間はほとんどない。お遍路の道というのが意外とわかりづらく注意していないとすぐに迷ってしまう。特に雰囲気の上では思索に最適に見える山道が最悪だ。気がつくと同じところをまわっていたり、逆方向に進んでいたりして油断できない。迷って日が暮れると遭難しかねないためちょっと命がけだ。雨とか降ると地面が濡れていて岩とか滑って注意して歩かないと危険だ。歩くのに真剣になって頭をつかわないといけないので、他のことを考えている余裕がない。たぶん、昔のひとのほうが頭を使って生きていたんだと思う。山賊だっていただろう。数字や文字をこねくりまわすことなんて頭の仕事のほんの一部だ。自然の中に生きていて、移動するにも真剣、食べものを見つけるのにも真剣、食べるにも命がけ、そういう生活が一番頭を使うはずだ。


結局、くだらない悩み事を考えることができるのは、この国道をもう何キロもまっすぐと歩き続けるしかない、そんなときぐらいなのだ。山道ではそんな暇はない。日本中でありふれている郊外の風景の中、アスファルトの道路をただただ歩く。そういうときにいろいろ考えるしかない。


母はお遍路の白装束はしない。ぼくも当然いやだから、ふつうの格好だ。だから、道路をあるく二人の姿はまったくもってふつうの光景になる。白装束をしない理由について、母親は、私には信仰心がないからだと他人に説明している。だから、唯一のこだわりが歩くことなんですと説明している。お寺の娘に生まれていて信仰心がないだの出鱈目に決まっているのだが、本当の理由はとくに聞いていない。ただ、歩き遍路にはたしかにこだわっていて、それもできるだけ国道は使わずにあまり白装束のお遍路も通らないような山道を選んで通るから、ついていくこっちは大変だ。


歩くときに母とぼくは無言の争いをする。どちらが左側を歩くかだ。母はすぐにぼくの左側で歩こうとする。道路の右を歩くとき、左は車道側なのでぼくが左にいこうとするのだが、気がつくと母が左にいる。70近くになっても母親は、まだ子供を守ろうとする。右か左かは別にしても一緒に並んで歩きたがる。雨でぬかるんだ山道を歩いているとき、ぼくが先頭にたって、できるだけ乾いた地面を選んで歩いていると、いつのまにか隣でぬかるみを母が歩いているから、どこを歩くかもいろいろと難しい。


お遍路をしているとき、ああ、お遍路をしているんだと実感するのは道にちょっとでも迷っていると、しばしば、どこからともなく近所の人が現れて、道を教えてくれることだ。通り過ぎるひともよく挨拶をしてくれる。女子中学生とかでもするから、きっと地元の学校で教えているのだろう。


こういう地元のひとたちにとって”お遍路さん”とはどういう存在なんだろうと考える。江戸時代だったら、旅人は外の世界の情報を伝えてくれるメディアだっただろう。でも、いまは逆に旅人のほうが世間の情報から隔離されていて物事を知らない。遍路宿で同じく遍路をしている有名人の噂話を母はよく聞くという。それこそ菅直人ショーケンとかだ。でも、それだって、情報の元はテレビや雑誌が半分以上だろう。


昔の時代は”お遍路さん”はメディアとして意味があった。お遍路さんになる側の人間にとっても今よりも危険な旅だったかもしれないが、関所があって、自由に住む場所を変えれなかった江戸時代には、お遍路で世の中をみてまわるというのは、一生一度の大冒険でありエンターテイメントだったに違いない。いまはどっちの意味も失われている。こんな時代に観光でなく、歩き遍路をやるというのはどういうことか?よほどの理由がないとこんなくだらないことはできない。願い事をかなえるためになら人間はこんな苦労をしてまで祈らない。とりかえしのつかないこと、どうにもならない思いを遍路に託しているのだろう。


別に1400キロメートルを歩ききったからと云って、政治家の歴史的評価が変わるわけじゃあるまいし、死を選んだ弟が生き返るわけでもない。そんなことはわかっている。いったいなんのためにこの平凡な道を歩き続けるのか。


今年あと2回来ようと母は云った。今年中に松山市まで終わらせたいと。早くしないと終わるまでに私が死んでしまうと笑う。ぼくはできれば未完のまま母の遍路は終わればいいと思っている。なかなか終わらせずにずっとこの退屈な母との旅が続けばいいと思っている。


ありふれた風景、痛む足をひきずりながら歩く毎日、ついに到達した節目のお寺がそれほど立派でも特別というわけでもないという現実。知らないけど、やがて到達する最後の88番目の寺もきっとたいしたことはないのだろう。でも、それでいいじゃないか。


人生だってそんなもんだ。いったいなにが違うというのか。

老人を牧畜する国

昔、ひとづてにある経営者がこう評したという話を聞いた。老人ホームや介護ビジネスは仕組みとしては牧畜業だ、と。


誤解を避けるために断っておくが、これは老人を馬鹿にしているわけでも、老人ホームの経営はこう考えろというビジネス指南でもなく、ただ、ビジネスの構造が牧畜業とまったく同じであるという指摘である。


牧畜業とは一定期間、家畜を飼育したコストを、最終的に市場で売却した価格を引いた金額が利益になるという構造である。そして市場価格はそのときの相場であって、だいたい一定であるとみなせるから、どれだけ利益がでるかは、飼育するコストをいかに抑えるかで決まることになる。


老人ホームや介護の場合も顧客満足度をいくらあげようがもらえる報酬が変わるわけではないのでいかに低コストで世話を出来るかで利益がきまる。牧畜業との違いは、飼育期間が決まってないことだ。だから、出来るだけ長生きしてもらうほうがいいというのが僅かな救いだ。


僕の母は10年前に介護2級の資格を取った。ボランティアで施設にいったときの話は何度も聞いた。施設に入ると痴呆が進むというのはあたりまえだと思ったという。入所すると全員がおしめをつけさせらそうだ。自分で用を足せる人間も例外なくだ。そして、全員、同じ時間におしめを変える。時間外に濡らしたから変えて欲しいというナースセンターへのコールでの訴えに、介護士は、ちょっと濡れたぐらいでおしめを変えたら介護保険の無駄遣いですと説教をしていた。そんな場所では正常な人間もプライドを守るためにはぼけるしかない。そうして人間の尊厳を破壊して痴呆で介護しやすい老人がつくられているのだ。


ボランティアの初日に、母親を新入りだと思って近づいてきた車いすの老婆がいたそうだ。お願いだから、あなたにいっさい迷惑をかけないから、わたしを公衆電話のところまで連れて行ってください、そう頼んできた。いったい、その施設でなにがおこっているのか?しかも、母親がいった施設は他よりはずいぶんと”まし”なところだと聞かされたそうだ。


昔、介護保険が導入された当時に、なんかでもらったベンチャー志望のひとを読むような雑誌の巻頭特集が、ある介護ベンチャーのインタビュー記事だった。8ページにもわたるそのロングインタビューでは、いかに介護ビジネスが将来性があって巨大な市場であり儲かるかの熱弁で埋められていて、介護という仕事の社会的意義のような話は1行もなかったことに戦慄したことを覚えている。もちろん介護の社会的意義なんていっていてもどうせ綺麗事だと鼻で笑っただろうが、そういう綺麗事すらまったくなかったのだ。そのとき、たとえ偽善であってもやっぱり建前としての正論はあるだけましだと、ちょっと価値観が変わった。それぐらいショックを受けた記事だった。


ぼくはベンチャーの仕事に関わっているが、起業家というものに親近感をもたないのはそのあたりの理由だ。そもそも起業家ってなんなんだ。一攫千金を狙って事業を起こすひと、という意味であれば、どんな仕事をやるかは儲かりさえすればなんでもいいのだろう。


介護の問題についてのネットの議論とかを見ると、結構、施設にいれてプロに任すしかないって結論になることが多くて悲しくなる。プロって何のプロなのか?これはメンヘラ、鬱病とかの議論でも同じだ。素人は手を出すべきじゃない、プロに任すべきだ、とかいってむしろ関わろうとするひとを非難したりする。いずれの場合もプロが問題を解決できるとは思えない。ただの責任転嫁、嫌なものはみたくない、それだけじゃないか、と思う。


こういう問題は”ふつうのひと”にとっては、結局は”ケガレ”なのだろう。そして自分の価値観を守るため、ケガレに近づく人間までも非難する。日本はそういう国だ。

母親の親友の話

母親の親友論には長い間だまされた。


ぼくは、正直、マザコンの気があって、母親の言葉にかなり影響されて育った。10代のときにいわれたいくつかの言葉はかなり長い間にわたって心の中の金科玉条となってぼくの人生を支配した。ぼくが独立したのは30代半ばのころだ。どうもおかしいと気づきだして母親に確認したらいったこと自体を忘れていて愕然としたことを覚えている。ぼくの人生を返して欲しい。


ぼくが心の拠り所にしていた母親の言葉を思いつくまま紹介してみよう。


(1) 親友とは大学時代までにしかできない。社会人になって以降の友達は利害関係の付き合いだから、親友にはならない。
(2) 商売するとき必要なものだからと全部の必要なものにお金をつかっていたら、すぐに商売が成り立たなくなる。本当に必要なのかを吟味しなさい。
(3) 本当に大事な人間関係とは相手が困ったときに自分の身を切ってでも助けるかどうかで決まる。普段いくら仲良くしていても関係ない。 
(4) 社会にでて生きていうことは、いうてもそんなにたいしたことあらへんけど、でも、なめたらあかん。
(5) あんたみたいな性格の悪い子は、だれも愛してくれない。


(2)と(4)は役に立ったと思う。(3)も、まあ、そのとおりだとは思うのだが、ぼくの場合はこの理屈を悪用してしまい、相手が困ったときは助けるんだと決意だけすれば普段の付き合いは適当にしてもいい、というように解釈した。おかげで年賀状は出さないし、普段の人間関係のメンテナンスもいいかげんなので、なかなか親しく付き合う人間ができないはめにおちいった。まったく母親はろくなことを教えない。


(5)が最悪だった。あまりにショックすぎてどういう時にいわれたかも忘れてしまい、ただ、その言葉だけが頭にこびりついて、だれにもいえずに十数年間自分の胸の中でかかえていたのだが、30歳を過ぎたあるとき、母親と一緒に旅行して、勇気を出して聞いてみたのだ。あのときのあれはどういう意味だったんだと・・・。そしたら、もちろんまったく覚えてなかった。どうせ、ろくでもないことをしたからでしょと、容疑も不明のまま、もういちど怒られるはめになった。これは実は(3)とのコンボでぼくの考え方にすごく影響を与えていて、自分はだれからも好かれないことはしょうがないとして、自分が好きなひと尊敬するひとは困ったときに助けようという、実にみっともない決意で自分の心をなんとか慰めるという癖がついたのだ。


(1)の悪影響も大きい。まあ、基本、他人の好意を信用しない人間だったこともあって、大学時代の友人も社会人になったら付き合いはまったくなくなり、会社や仕事で出会った人とは決してプライベートな付き合いはしないことに決めたから、友達がまったくいなくなった。仕事の関係では人間付き合いをしないということは徹底していて、接待も受けなかったし、やらなかった。仲良くなったひとと仕事をするということは、フェアじゃないし、汚らわしいことだと思っていたからだ。


でも、これも30代になったときになんかおかしいんじゃないかと思い始めた。だいたい大学のときの友達だって利害関係じゃないか?同じクラスだから仲良くするなんてことこそが強制的な利害関係以外のなにものではない。利害関係のない人間関係なんてそもそも存在するのか?そう思って母親に聞いてみたらこれも返事がすごかった。すこし考えたあといったのだ。


「確かに大学時代の友人も利害関係かもしれないね」


簡単に納得すんなーーー。


まあそういう母親なわけだから、ぼくと母親の価値観にはかなりの共通点がある。他人に対して、どんなに仲良く付き合っていても、相手が困ったときに自分が助ける決意をしていても、自分のほうは壁が心の奥底にあって、決して心を許していないのだ。母親のほうが全然社交的だし、友人も多いのだが、そこの部分は変わっていない。


ぼくが会社をつくったときに親から多額の金を借りたことがある。母親の貯金と父親の退職金だ。息子の事業にお金を出すと聞いたまわりから馬鹿にされたそうだ。


「いまにけつの毛まで抜かれるわ」


大阪は言葉が汚い。母親はこう言い返したという。


「親が子供の踏み台になってなにが悪いんですか。本望です」と。


会社をつくっていろいろ危機があったけれども逃げないで頑張れたのは、別に事業に夢があったわけでもなく、ぼくの心が強かったわけでもない。ただ、失敗したときに訪れるだろう両親の惨めな老後など見たくなかったからだ。


さて、親友は大学までにしかできないといっていた母親だが、自分自身は高卒で大学にはいけなかった。成績は良かったらしいが、母親の母親、つまりぼくから見ると祖母になるのだが、病気で伏せっていてつきっきりで看病しなければいけなかったからだ。だから大学にいけなかっただけなく、高校生活もろくに過ごせず、高校時代の友達で付き合いのあるひとはひとりもいない。


だいたい自分が学生時代の友達が残ってないのに、学生時代のときの親友しか本当の親友じゃないなんてことをいったのは根拠がなさすぎじゃないかと文句をいうと母親はイヤな顔をした。


そういう母親が去年のクリスマス前に高校の同窓会があるので大阪にいってくるといったので驚いた。


付き合いのある友達がいないというのにそんなところいったら気まずくないかと心配になったのだが、もう、母親も68である。ひさしぶりの同窓会らしく、おそらくこれで最後だろう。今は付き合いがなくても高校時代に仲が良かった親友もひとりいる。行けば会えるかもしれないから、というので、まあ、いったほうが後悔しないよねとぼくも思った。


数日後、母親と会ったらテンションが高かった。


「そう、聞いて欲しいんだけど、親友と会えたのよ」


しかも、親友も母親と会うために同窓会にきたのだという。まあ、それぐらいは社交辞令でもいうだろうとぼくは思ったけど、母親の喜びようは尋常じゃなかった。


母親はいっきょにまくしたてた。はじめて聞く話ばかりだった。


高校の時に住んでいた家は差別される場所にあったということ。小さいときは仲良かった友達もだんだん大きくにつれ減っていったこと。友達は仲良くても親がいい顔をしないので家にはあそびにきてくれないこと。病床の母親から、うちの家の先祖は鳥羽伏見の戦いの落人でサムライだ。サムライの娘だから誇りをもてといいきかされていたこと。そのなかで分け隔てなく家族ぐるみで仲良く付き合ってくれたのはその親友ひとりだけだったこと。


お互いずっと親友だと思っていたらしい。でも学校を卒業後、彼女はどこかに嫁いでそのとたんに連絡が途絶えたという。いくら電話をかけても手紙を書いても返事はこない。母親は、いつか、これはきっと彼女の意志ではなく、嫁いだ家が差別意識のある家だったから付き合えなくなったんだからしょうがないと、自分の中で整理をして諦めたそうだ。


その連絡がつかなかった親友が同窓会に来ていた。しかも母親と会うためにきたという。


ひさしぶりにあった彼女はほとんど身体を動かなかった。ずいぶんよくなったのだそうだ。結婚後、ひどいリューマチに襲われ、全身が麻痺して動けなくなった。電話機のボタンも押せない。ペンも持てない。ずっと寝たきりの生活をつづけていたという。最近、やっとリハビリがうまくいって腕が肩まであがるようになって少し動けるようになった。そして親友であるぼくの母に会ってひとこと謝りたい、それだけの思いで息子の嫁に頼んで同窓会につれてきてもらったのだという。


母親に高校時代に親友がいたという話は本当だったわけだ。


ほかの同級生のことを聞くと、母親は妙なことをいわれたといった。「きれいになった」とみんなにいわれたらしい。ひとりだけじゃなくみんなにいわれたそうだ。高校のときにしかあってない友達に70手前で再会して、きれいになったというのはどういう意味だよとぼくは笑った。


「たぶん、高校のときは毎日母親の看病をしていたから、疲れていたんじゃないかと思う」と母親はいった。


母親の高校生活とはいったいどんなものだったのだろう。


学生時代の友達しか親友じゃないとぼくにいったとき、母親はどんな気持ちだったのだろうか。おそらく母親の頭の中にあったのは親友の彼女のことだろう。彼女と連絡が途絶えたあとも、母親はずっと親友のままだと信じて、彼女にだけは心の壁を取り払って生きてきたのだ。


「本当に同窓会に行ってよかった」


母親はうれしそうにいった。

ネットが守るべき言論の自由とはなにか?

ネットでわんこ☆そば氏なるひとのブログに面白い記事がのった。


ドワンゴ川上会長「中国のようにネット言論は国で規制すべし」 - SKiCCO JOURNAL


そこだけ読むと、多くのひとがこのひとは無茶苦茶いっているなと反感を持つような見出しである。ネットではこういうように自分が都合がいいように情報を切り出して加工して、架空の敵をつくって攻撃をするということがよく行われる。


ちなみに面白いことに、このブログをさらに引用したニュース記事があって、タイトルはこんな風になる。


『ネットの意見は国が封殺すべし!』ドワンゴ川上会長の驚き発言 - 楽天ソーシャルニュース


要するに読者を刺激する、できるだけ読者が怒り出すようなタイトルをがんばってつけようとしているのだ。そしてネット民はそういう情報を取捨選択かつ判断する賢さはあまりもっていないひとが多いから、そういう作られたイメージでどんどん空想の議論を発展させる結果となる。twitterの発言をいくつか引用してみよう。

manbo kono @jazzmanbo
またまた狂人現る。 RT @R_SocialNews 『ネットの意見は国が封殺すべし!』ドワンゴ川上会長の驚き発言 r10.to/hEtF8P

Kitten T.T.(脱原発に1票!) @kittenish823
ネット業界の当事者がネットの存在価値を否定する発言をしていることを赦す風潮は絶対にいけない。言論封殺を正当化する根拠はどこにもないのだ!→『ネットの意見は国が封殺すべし!』ドワンゴ川上会長の驚き発言

T-Katou @k10go244
中国、北朝鮮と同じでいいということか!? RT @R_SocialNews: 『ネットの意見は国が封殺すべし!』ドワンゴ川上会長の驚き発言

seiji watanabe @re_enta
激同⇒ネットサービス事業者からこういう発言が出てくることは実に恐ろしく、そして情けない。 RT ドワンゴ川上会長「中国のようにネット言論は国で規制すべし


彼らはこんなひどい人間が世の中にいるのかと頭の中で想像をふくらませて怒るわけだが、実際の相手が自分が想像するとおりの人間であるわけがないなんてことについては想像する知能を持ち合わせていない。


このようにネットでは相手の意見を自分が攻撃しやすいように加工したり、ねつ造して情報を拡散し、そのねじまがったイメージに対して、たくさんの人間で攻撃するというのが、とてもポピュラーで便利な議論の方法となっている。


ネットの言論の実態がどういうものかについての非常に美しいサンプルである。


さて、最初のわんこ☆そば氏のブログに話を戻そう。ネットの言論統制を国家がやるべきかどうか。言論統制の是非はともかくとして、国家がそういうことを志向するのは当然だと僕は思う。実際にジャスミン革命チュニジアではネット上の運動が燃え広がり、政府が転覆した。国家が国家である以上、国がひっくりかえるリスクに対してなんの対策もとろうとしないのは、間違っている。国としては革命などの社会不安につながる恐れのある暴走は食い止めようとするのが正しい姿だ。あくまで国のとるべき姿としては当然であって、正しい。だいたい今回の記事でもわかるようにネットの炎上事件というのは、原因をよくよく調べてみると勘違いだったり正しくないことも多くて、そんなんで社会がいちいち転覆してたらたまらない。


だから、国が言論統制をおこなおうと決意するのはそのこと自体は当然のことだとぼくは思う。そして、問題があるとすれば国家としては当然で必要性のある言論統制であっても、それによって本当の言論の自由が損なわれるのであれば、とても許しがたいということだ。そしてそういうことはぶっちゃけよく起こりそうでもある。だから、国家がネットの言論をコントロールしようとしたとしてもその手段についてはよくよく議論をしなければならないだろう。だからといってネットでなにがおこっても国家は一切干渉すべきではないというのはネットにいるひとたちは主張しても、国家側が自ら主張することではない。それはネットという新しい領土における国家の主権放棄であるというのがぼくの主張だ。重ねて言うが、それが正しいといっているわけではない。例えば、ネットはどの国家の主権も及ばない自由な場所であるべきだ、という主張もありうるし、そっちのほうが人類の未来のためには正しい道かもしれない。ただ、国家がそんなことを主張するのは自己否定だし、気持ち悪いじゃないか。


中国は手段が正しいかはおいといて少なくともネットの時代に国家はどうやってネットにおいても国民を支配するかということを真剣に考えている。それは国家としては正しいし、なんにもネットについて考えてないように見える日本よりは意識が高い。これは当然の指摘だと思うがどうだろうか?


国の話はこれで終わりにして、じゃあ、ネットの言論を規制するとしたら、なにを規制するべきかとぼくが考えているかについて書こう。


まず、最初に断っておくが、ぼくは規制手段について、こうすればいいという結論は持ち合わせていない。そこはこれからネットで考えていくべきテーマだと思う。


ただ、ネットの言論が問題な部分はどこなのか、それについての自分の意見は持っている。


それは「他人の言論の自由を妨害する自由は言論の自由とは違う」という主張だ。このふたつを混同しているひとがネットに多くいるのだ。


そういう意味では、ぼくは言論の自由を守られるべきだと強く思っている。そしてネットの言論の自由を本当に守るためには、ネットで他人の言論の自由を妨害する自由を規制しなければならないと思っているということだ。規制という言葉が気に入らなければ、ルールという言葉に置き換えてもいい。別にそのルールの主体がネットの自治でできるならそれにこしたことないし、なるべくなら国家権力の介入などないほうがいいに決まっている。


今回のわんこ☆そば氏の記事は非常にいいサンプルで、自分が攻撃したい相手を決めたら、そこだけ読むとみんなが怒るように相手の発言を切りとり加工してタイトルにつける。そうなると別のひとがさらにそのタイトルをより過激なものへ加工する。それをtwitterでみたひとがタイトルだけみてまたなにかを想像して怒り出す。そもそも発端が決めつけとレッテル貼りからはじまっているので、タイトルをクリックして記事を読むひとがいても、元々の記事からして根拠なく歪んだことしか書いてないから、元々のソースがなんなのかがもだんだんわからなくなってくる。


現在のネットの言論の自由はとても進んでいて、他人の言論まで自由にこのひとはこういうことをいったんだとねつ造することが可能なのだ。


わんこ☆そば氏が面白いことをいっている。

>マトモなことを言う人が吊るし上げられたとしたら、今度は吊るし上げた奴が非難されるのがネットである。それこそが自浄作用だ。


こういう自浄作用が本当にネットにあるだろうか?たまにあるのは認めよう。だが、多くの炎上事件でつるし上げられるのは”自分たちへの反対意見”であり、いっている内容は関係ない。敵か、味方かそれしか判断しない。まともな反対意見をいったとしたら、たしかに他のまともなひとたちは自浄作用により納得するかもしれない。ただ、それで浄化できるのはまともなひとだけなので、炎上事件の終盤になると、自浄作用により、逆に、ばっちすぎて浄化できない、まったく話の通じない馬鹿ばかりが濃縮されて残っているというのが現実ではないか。


こういうネット世論の特性というのはある意味単純なので、それを意図的に利用しようとするひとはたくさんでてきている。なにかの検索ワードに定期的にネガティブキャンペーンを投稿するボットはtwitterを眺めていればすぐに見つかる。自然発生なのかどこかが意図的にやっているのかは不明だが、組織的になにかの主張を広めようと、ネットでたくさんのひとがそう思っているかのようにいろいろな工作活動しているひとたちも多い。広めようという主張には正しいものもあれば、たんなるデマもあるだろう。だが、見ている限り、人間の善意よりは悪意のほうが数も多く長続きしているように思える。たいていの場合はなにかの主張を広めるときにはすごく悪い敵を勝手につくって想像上のイメージをどんどん悪くしていくという手段がセットになっている。そういうのは問題ではないのか?


だから、ネットの言論を規制すべきといっているわけではない。でも、他人の言論をねじまげる自由が、逆にネットの言論を不自由にさせているという事実を指摘したい。


最後に、わんこ☆そば氏の記事の最後のほうになにもかもぶちこわしにする本当にひどい文が登場して、ぼくは目を疑ったのだが紹介しよう。

>もちろん、表現の自由も行き過ぎれば暴力になる。だが、表現の自由は責任を課すことで制限すべきであって、


おいおい。結局、責任を課して制限すべきなのかよ?だったら一緒じゃん。


一体彼はだれとなにについて戦っていたのか?残念ながらこれが日本のネットでまだまともなことをいっているひとたちのレベルだ。


どうやらわんこ☆そば氏のブログを見る限り、彼はジャーナリストを気取っているらしい。ジャーナリストとして自分の発言には責任をもち、批判されることも覚悟しているらしいわんこ☆そば氏自身には果たして自浄作用があるのかどうか?期待して見守りたい。

ハウルの動く城がファンタジー映画の最高傑作であるわけ


ファンタジーとはなにか?現代のファンタジーの大きな源流はトールキン指輪物語など一世紀ほど過去のイギリスの児童文学に遡ることができるだろう。それ以前はお伽噺や童話の世界になる。


つまり、もともとはファンタジーは子供に聞かせる話として誕生したものである。


お伽噺や童話そしてファンタジーに人々はどんな思いを託してつくってきたのか。


ぼくの母親から聞いた話だが、昔、母親の子供時代、日本が貧しかった頃、狸に化かされたという話は学校 に弁当をもってこなかった子の冗談めいた定番の言い訳のひとつだったそうだ。つまり家が貧乏だから、弁当を持ってこないのではなく、狸に化かされて盗られただけだというわけだ。


人々は現実がこうあってほしいなという夢を物語に託したりする。シンデレラという話は貧しく冴えない少女が、魔法で身なりを整えたら実は美女で王子様に求婚されるというはなしだ。シンデレラと類似の民話、伝説の類は世界中にあるらしいが、別に昔話でなくても、自分もなにか奇跡が起きて条件さえ整えば、実はすごい才能があって他人から認められて幸せになれるんだという筋書きは、現代の日本のマンガやアニメでも王道といってもいい。


一方、そういう王道のストーリーと異なり、童話らしい奇跡は起こったんだか起こってないんだか分からず、現実によくあるような苦しみをただ綴ったような悲しい童話もある。たとえばマッチ売りの少女という有名な話がある。マッチを擦っている間だけ、美味しいごちそうの幻が見えたり、死んだはずの母親が現れるというはなしだ。この話は客観的に考えると、凍え死にかけた少女が死ぬ間際に幻覚をみただけじゃないかとも解釈できて、そうすると実は不思議な話でもなんでもないリアルな小説だ。昔話にもこういう文学的な作品はあるんだなあと思っていたら、マッチ売りの少女は言い伝えられた民話の類ではなく、アンデルセンが19世紀の半ばにつくった大人のための童話らしい。


さて、ハウルの動く城についての話だ。ハウルは僕は映画公開時に一度観て、いろいろ不満があったけど、まあまあ、面白かったなあと思った作品だ。わくわくする冒険は少なかったけど、宮崎駿がひさびさに正統派ファンタジーをつくってくれたことだけで満足しなきゃとか思ったことを覚えている。


つまり、去年、ハウルをDVDで観たのは映画以来の2回目で、だから、とても驚いた。こんないい映画だったのかとびっくりしたのだ。


あちこちのシーンで心が動かされて涙が溢れそうになった。さらに興味深いことに、その多くの箇所で、なぜ、ぼくが今、感動しているのか自分でもよくわからなかった。


これはいったいどういうことなんだろう、と考えてみたのだが、まず、第一のポイントは観るのが2回目だったので余計な期待をしてなかったことだ。最初にハウルを観たときの自分を思い返してみたら、ぼくはずっと最後の戦いが始まるのを待っていた。ハウルが敵と戦争を開始する決意を固めるのをいまかいまかと見守っていたのだ。そしたら、そういうカタルシスをもたらしてくれる戦闘シーンはまったくでないまま映画は終わってしまい、本当にがっかりしたのだ。だが、2回目にハウルをみたときには戦争シーンなんてほとんどないことは最初からわかっていたので、余計な期待はせず、素直に映画を観れたのだと思う。


そういえば去年、映画監督のHさんと酒席でご一緒する機会があって、そのときにHさんがハウルを批判していた話が面白かった。Hさんが文句をつけていたのは一点だけ、ハウルの城についている大砲のことで、なんで撃たないんだ、と怒っていた。登場した武器は最低一回は映画が終わるまでに使うべき、と主張していて、ああ、ぼくも気分的にはまさしくこんなかんじでハウルを観ていたなあ、世の中の多くのひともそうだったんだろうなあと思ったのだ。


宮崎駿は間違いなく、ハウルで戦争なんて描く気はハナからなかったのだろう。じゃあ、彼はなにをハウルで描こうとしたのか。


Hさんの話をきいた酒席にいた別の監督Aさんはハウルのことを、ソフィーがハウルの城に到着するまでが最高に素晴らしかった、と評した。ぼくも同じ意見だ。ハウルは全体的にすごく完成度の高い映画だが、特にハウルの城に到着するまでは完璧としかいいようがない。


ファンタジーとは現実には起こらない奇跡を描く。観客にとって起こって欲しい奇跡や起こると楽しそうだなと思う奇跡を描く。


でも本当は奇跡なんて起こらないなんてことをみんな知っているのだ。奇跡は現実の中ではなく、みんなの心の中に願いとして存在しているのだ。


ハウルの特に序盤で宮崎駿はそのことを残酷なまでに描写する。彼が表現したのは奇跡を起こって欲しいという主人公ソフィーの感情である。奇跡そのものは・・・空中散歩などは本当に名場面ではあるものの実はどうでもよくて、そういう奇跡が起こって欲しいと願う気持ちがどういうときにあらわれるのかを見事に表現している。だから、ぼくは涙がでそうになった。奇跡で救われているはずのソフィーを見て涙が溢れそうになったのだ。


ソフィーがハウルの城にたどり着くまでの物語は、実はソフィーの頭の中で夢見た幻にすぎないという解釈が可能だ。これは実は冒頭で書いたマッチ売りの少女と同じ構造を持っている。ソフィーに起こった奇跡はソフィー以外のまわりのひとには見えていないし関係ない。ソフィーには本当は奇跡なんておこっていなかったのだ。


じゃあ、本当のソフィーの物語はどうだったのか。街角でのハウルとの出会い、これはおそらく自分とは身分違いのかっこいい青年とすれちがってちょっと優しい言葉をかけられた、ただ、それだけの出来事だったのだろう。ちょっとした恋心を抱きながらも付き合えるワケがないと諦めながら、少女は年を重ね、やがて老婆になっていく。たぶん、生活に疲れた彼女にとって、若い日のちょっとしたこのエピソードは一生心の奥にしまっていた大切な思い出だったに違いない。映画では魔法で老婆にされたソフィーは山に向かう。なんのために山にいったのか?途中で馬車にのせてあげた夫婦は、親戚がいるから、とソフィーというソフィーの説明を訝しがる。もちろんその話はウソだということをぼくらは知っている。ソフィーにはこの家にはいられないといって黙って家をでていったのだ、あてなどあるはずがない。ソフィーは山に死にいったのだ。死を決意したソフィーの荷物は台所から持ち出した少しの食べ物だけで、お金は一銭もない。きっと、これは本当の話なのだ。いきなり90歳になる魔法なんてなかった。ただ、ふつうに年を取り老婆になったソフィーが居場所がなくて山に死ににいったという話なのだ。姥捨て山の物語だ。


姥捨て山で死をまつ年老いたソフィーはなにを考えていただろう。自分の人生がひょっとしたら変わったかもしれないかすかな可能性、若い日に街角で出会った青年のことで空想をしていたにちがいない。彼は魔法使いで実は自分のことを愛していて、いま、この寂しい山奥で運命の再会をするのだ。ハウルの動く城とはソフィーが死の寸前に夢想した幻覚の物語である。まさにマッチ売りの少女なのだ。


ハウルの動く城ではアンデルセンが書いた童話と異なって、悲劇的な結末は描かれない。ソフィーは冒険の末、ハウルと結ばれるだけでなく、新しい家族と手に入れ一緒に暮らすことになる。まさに絵に描いたような理想のハッピーエンドだ。


ぼくが本当にすごいと感動したのは最後の最後で唐突にかかしの魔法が解けて、隣の国の王子様にもどったときだ。なんだかんだいってファンタジーとしてすすんでいた映画が、いきなりおとぎ話の世界になったのだ。余計な説明も演出もなにもない。いきなりお姫様のキスでかかしにかけられた魔法がとけて王子様になる。おとぎ話の典型的なラストである。リアルに描かれた登場人物の心情も映画の世界観もぶちこわしにいきなり子供向けのお話のエンディングがくっついたのである。


そう、ハウルの動く城とはおとぎ話だったのだ。宮崎駿は人間の悲しみを描き、その中からこういう現実だったらいいなという願いをすくいあげてファンタジーの物語をつくった。しかし、その手法としては完全に現実とは別の世界をつくるのではなく、登場人物の心情がとてもリアルに描かれた文学のようなファンタジーをつくった。シンデレラではなくマッチ売りの少女をつくった。ただ、それではエンターテイメント作品にはならない。マッチ売りの少女の妄想の話はふくらんで長く続き、シンデレラのような話がうしろにくっついた。そして最後にやっぱりこれはうその話、おとぎ話だったんだよとけっして視聴者に絶望を与えないかっこいい形でつきつけて映画を終わらせたのである。おとぎ話であるとはっきり宣言することでハウルの美しい物語にこめられた世界はこうあってほしいという宮崎駿の願いが純粋な形で伝わったのだ。


これほど美しい物語をぼくは知らない。


ハウルがファンタジーとして異質なのは、登場人物の感情の描写のリアリズムでそこが文学的である所以だ。だいたいファンタジーとは世界の設定だけではなく、登場人物の性格設定までもがステレオタイプで荒唐無稽なものだ。


ここで宮崎駿のリアリズムについてぼくの考えを話したい。よく宮崎駿の特徴として描く絵が空間的に歪んでいるということをプロデューサーの鈴木敏夫は指摘する。遠近法では正しくないんだが注目してほしいものをより大きく描いたり、なにかの背後に隠れて見えないはずの風景をまわりこませて画面に描きこむ。それが実は人間の脳での情報の認識方法にはなじみやすくて気持ちいいのだと説明する。宮崎駿の絵は写真のように遠近法では正しくないが、人間の脳ではよりリアルに感じられるということだ。


だから、宮崎駿の絵は空間が歪んでいると鈴木敏夫はいうのだが、さらに付け加えれば、ぼくの意見では宮崎駿の映画の歪みは空間方向だけでなく時間方向にも及んでいると思う。宮崎駿は絵描きである以上にアニメーターなのだ。映像として観客の脳がどう感じるかというのをシミュレーションして、いらない情報は省き、必要な情報は強調しながら、映画の構成を考えているはずだ。一般にも宮崎駿はシナリオも脚本もない状態で、いきなり絵コンテから物語をつくりはじめるといわれているが、その理由はこのあたりにあると思っている。


宮崎駿の絵が実は歪んでいることに気づかないのと同じように、宮崎駿のつくる物語はストーリーに矛盾や説明不足がたくさんあって歪んでいるのに気づかれにくい構成になっているのだ。そして歪んでいるのに、よりリアルな物語に感じられるのだ。


これはちょうど夢と似ているのではないか。人間が夢の中で見ている映像とはどういうものか、多くの人は白黒の夢をみていて天然色の夢を見ているひとは割合的に少ないといわれる。おそらくは、天然色の夢を見ているひとというのも起きているときに視神経から飛び込んでいる映像ほどの情報量は脳内では再現できていないのではないかと思う。夢を見ている間、きっと人間は現実よりも不完全な映像を見ている。そしてそれが夢の中ではほとんど意識されないのは、もともと人間は起きているときも視覚情報を大幅に削減し抽象化して、脳内で扱っているからだろうに違いない。それでも夢の中では現実以上に恐怖を感じ、うれしかったり、悲しかったり、感情が揺れ動く。そういう夢を見ることがある。


宮崎駿のつくる映画は良質の夢なのだ。それがリアルじゃないアニメ、リアルじゃない物語で、なぜか現実よりもリアルな感情が呼び覚まされる理由だ。


ハウルの動く城、まだまだ書きたいことはたくさんあるが、見せたら長いと文句をいうひとがいるので、ここで筆を置く。


ぼくが、人生で出会った中で最高のファンタジー映画である。