ひきこもりはメゾネットに住むべき

ぼくみたいな人間がこれまでの人生でわりとうまくやってこれた究極の原因はなんだろうと考えていてある結論にたどりついた。


それは部屋の中にひきこもりながら体を動かしていたことに違いない。


あ、最初にいっておくが、これは駄文である。駄記事である。ブロマガ、はてなブログとひさびさの記事を上げてみて、この一番古いはてダにもなにか書いてみたくなっただけの話である。


2年ぐらい結婚生活を送っていて、当然、嫁との間に深刻な生活習慣の違いというのがいくつか出てきているのだが、ぼくが我慢していることのひとつに本当はベッドルームを暗くして寝たいということがある。


ぼくは真っ暗な部屋でさらにふとんをかぶって丸まって寝たいのである。


そしてなによりカーテンは完全に閉めてほしいし、カーテンがなぜ遮光カーテンじゃないのかということについても納得がいかない。部屋の窓を遮光カーテンで締め切って、朝日が昇ろうが、部屋の中はまったくの暗闇で夜のまま。


ぼくはそういう生活が理想なのだが、妻は逆で遮光カーテンなんかつけているひとの気持ちがそもそもまったくわからないと主張する。


このあたりの生活習慣の違いは、やはり妻が社交的で人との付き合いが苦にならないどころかむしろ好きであって、ぼくはひきこもり体質でできることなら他人との付き合いは最小限にとどめたいと思っていることからくるのだろう。


およそ、ひきこもりたいという欲求はどこから来るのだろうと考えると、それはやはり他人との付き合いが怖いからだろう。だれにも見られたくない、だれからもなにもいわれたくない、そういう感情がひきこもりたいという欲望をつくりだす。


これはたぶんにオタク気質とも関係していて、ようするに自分の趣味・好きなことをやっていたいと思う人間は、だいたいまわりに理解・共感してもらえずに白い目で見られる経験を持っているので、他人に干渉されたくない口をだされたくない、そもそもこっちみないでほしいという感情が育っていくのだと思う。


そう、ほんとこっちみないでほしいのである。ぼくはクラスでも放課後でも気のおけない友達といるときですら、ひとりでもあまり仲良くないひとがいる場合には、空気になりたい、話しかけてこないほしい、といってあからさまな無視もされたくないんだけど、自然にただそこに在りたい、みたいなことをずっと思って生きてきた。


そう、いまでもパーティーや街中で歩いているときに、とつぜんだれかに挨拶されると一瞬で表情がこわばるのが自分でも分かる。知っているひとだったらどうしよう。思い出せるだろうか。うまくあたりさわりのない会話ができるだろうか、とぼくの超高性能な頭脳が全力て回転をはじめ緊張するのだ。


なんだっけ。遮光カーテンの話だった。まあ、なんでひきこもりは完全な密室を好むし、そっちが落ち着くんだから、遮光カーテンにして外界の光は一切さしこまないほうがいい。そういう話だ。


ぼくの友達に地下室に住んでいる奴がいて、彼が新しい地下室をつくって引っ越したあと、ぼくが元の地下室を借りて1年ぐらい住んでいたことがあった。


ここがやばかった。遮光カーテンどころか地下室なので窓がないから、光はまったく存在しない。照明も最小限で全部の明かりをつけてもぶつからずに移動はできるくらいで、壁や床がどうなっているか、部屋の隅になにがあるかはまず見えない。


外に出るといきなり真昼間で太陽が照っていたりして、時間の感覚がなくなるのだ。いったいいつ寝ていつ起きて、今日はいったい何曜日だろう。


ぼくの友達もひきこもり体質で人間嫌いだったのだが、その理想の空間に住み始めて1ヶ月ぐらいたつと、あまりにさみしくなり、外に散歩に出て公園でぼうっと知らないひとを眺めたりするという行動が発生したり、どんどん人恋しくなってしまい、それがきっかけで社交的になっていったんだと説明してくれた。


人間はひきこもりたいときは徹底的にひきこもればいいんだと思う。どんな人間嫌いっていったって、寂しくない人間なんているわけがない。


だからまずは自分のひきこもりたい欲望を完全に満たしてあげることが重要で、窓には遮光カーテン。なんなら目張りして暗闇をつくり、部屋の照明も最小限でいい。パソコンの画面のあかりだけでも十分だ。


親も話しかけてこないでほしいよね。携帯電話の電源もうざいなら切ってもいいけど、ぼくの場合はそもそもかかってこないので特に切る必要は感じなかった。そうして社会から隔離されないと、もういちど社会に向き合う勇気はでないと思う。


さて、ひきこもり生活をはじめるにあたって、どうせ寂しくなるんだから、社会復帰の糸口もちゃんと確保しておくにはどうすればいいか。


これはちょっと難しいテーマだ。ひきこもりは、よく、一般人から、社会とかまわりのせいにして自分で努力をしないと非難をされる。


環境のせいにばっかりしないで、自分で環境を変える努力をしなさいと責められたりする。


これはぼくはちょっとフェアな非難ではないと思っている。


だって、客観的に考えたら、ひきこもりなんて本人のせいというよりは環境のせいにきまっている。人間なんて自分の努力で決められる人生の範囲なんて、ごく狭くて、ほとんど環境で人生は決まるものだというのは、どう考えても正しいにきまっているじゃないか。


ひきこもりを簡単な努力すらできない怠け者だとか能力が低いと思っているひとは多いが、それはひょっとするとひきこもりになった原因については多少はあたっていたとしても、ひきこもりのひとのほうが、より難易度の高い人生を生きているという現実を見落としている。


ひきこもりの人生のほうが大変に決まっているじゃないか。なんでより簡単な人生を生きているやつらになまけものとか無能呼ばわりされなきゃいけないのか。


ひきこもりに限らず人生において負け組は、どんどん難しいゲームをさせられる。例えて言えば攻略本もリセットもなしに、ファイアーエンブレムをやらされるようなものだ。かろうじてステージをクリアしつづけたとしても、どんどん難易度があがっていき、いまやっているステージをクリアするために必要なはずの仲間たちなんて、とっくに昔のステージで死んでいてもういない。


どんなに上手いゲームプレイヤーだってクリアできないステージを人生の負け組はプレイしつづけれなければいけない。


人生とはそういうものじゃん。


自分がダメなのは環境が悪いとか、正しいし的確な表現じゃん。無能とか怠けものとかいうならもっと早くにいってほしい。


ぼくは本当にそう思う。


なので、いま自分がダメなのは自分が悪いわけじゃなく、いや、多少は悪かったかもしれないけど、本当に悪いのは社会であり環境であり、自分だってチャンスがあればもっとうまくやれるしやるけど、いま、この状況では努力のしようもないじゃんと諦めるようなひとは、どんな場合でも努力で道は切り開けると信じるひとよりも、ヤンキー的価値観ではダメ人間かもしれないが、知性ある生き物であるホモサピエンスとしては、まったく正しく合理的な態度だと、ぼくは思うのだ。


まあ、ということでひきこもりから世間に復帰する糸口を用意する必要があると、さっき書いたけど、もっとも必要なのは運だし環境だ、というのが事実であるとぼくは思っているが、それはそれでおいといて、自分でできる範囲の努力とはどういうものなのかを書く。


それは体力だ。


結局、ひきこもりが社会復帰するためには環境の変化とかきっかけが必要なんだけど、それを生かすための体力が残っているかどうかがカギになる。


多くのひとはやる気があるかどうかで、やる気なんてその気になればいつでも根性で出せるもんだと信じているんだけど、やる気をだせる気になるかどうかは体力で決まる。


体力がないと気力もなくなるし、やる気も出ない。人間とはそういうものだ。


そうすると、なにしろひきこもりは部屋から出ないわけだから、部屋の中でどれだけ運動できるかどうかが非常に重要になる。


やっぱり階段があるかどうかは大きなポイントだ。1日の間に何回も階段の上り下りができればそれだけでかなりの運動になる。


ぼくの場合はあとテレビの前においてあるソファーの高さと硬さが足をのせてストレッチをやるのにちょうどよかったというのが非常に大きかった。


ぼくはむしろ社会人になってから、会社を起業してからのほうがひきこもった回数も期間も長かったのだけれども、毎回、帰ってこれたのは、もちろん幸運にも自分が社会に必要とされている幻想を抱きやすい環境に自分がいたことが最大ではあるが、やはり気力と体力がまだ残っていたということが決定的に重要だったと思う。


階段とソファーにぼくは助けられたといえるだろう。


しかし、階段とソファーがひきこもりの環境にあったということもじつはすごく幸運なことだ。


引きこもる部屋がそれほど広くないという場合はどうすればいいか。


それはやっぱり大変危険な状態なんだといわざるをえない。
身動きのとれない部屋でできる運動なんて限られているし、十分には絶対に運動できない。


その場合は、だれも見ていない夜中に部屋を出るしかない。夜中の2時はまわったほうがいいだろう。朝の2時から6時の間。それぐらいであれば外が明るくなっても、会いたくないひとには会わないですむだろう。ネトゲで夜更かししているひとは、眠る前に外に出るのが現実的だろう。生活リズムを人間は大きくは変えれない。


そうやって体力さえ維持しておけば環境が変わった時、環境が変えられるかもしれないチャンスがあったとき、なにかができる可能性がある。


まあ、体力ありすぎるのも問題なんだけどね。ぼくの場合はネトゲにはまらなかった真の原因は20時間とかゲームをやりつづけると肩が凝って頭痛がして、なにもできなくなるぐらいに体力がなかったからだ。ずっとひきこもってゲームをやる体力があったら、もっと絶望的な状況に陥っていたと思う。そしてやがてその体力すら、いつかなくなっていることに気づいたのだろう。


体力があればチャンスのときに頑張れる。まあ、ダメかもしれないけどね。いや、たぶん、ダメなんだと思う。だって難易度の高いゲームをやっているんだから、ほんとやってられない。


もし成功したとしても、世間には当たり前だとぐらいにしか思われなくて、まともな一般人の一番下の階層にやっと入れてもらえるというだけなんだけどね。


でも、本当はそれはすごいことで、起業して運だけで成功した経営者なんかよりも、じつはもっとありえない快挙をやったんだと。


少なくともぼくはそう思う。