ゆとりでもわかるコンテンツの価格の決まり方
※11/22ブクマへのコメントを最後に追記
だいたいネットなんて使えない環境下のほうが人間の生産性はあがるものだ。ようするに飛行機の中で暇ということだ。
ネット時代にコンテンツの価格はゼロになるとかなるべきとかほざいている馬鹿は、いまだに世の中に多い。一般的にコンテンツの価格と制作費がどのように決まるものなのかについては以前のエントリでも書いた。前回のエントリの要点をまとめると、コンテンツの標準的な価格はプラットホームホルダーが任意に決めるものであるということと、コンテンツの制作費はそのプラットホームで回収できる売り上げによって決定されるということだ。しかし、ではプラットホームホルダーはどのようにコンテンツの価格を決定するか(できるか)については説明しなかった。
コンテンツの価格が他のものにくらべて市場原理で論じるのが難しいのは、すべてのコンテンツがそれぞれに独占商品であるという性質をもっているからだ。浜崎あゆみと鈴木亜美がかってライバルといわれていたが、その当時のあゆのファンが鈴木亜美の新しいアルバムがあゆのより500円安いからといって、鈴木亜美のファンになったりはしなかっただろう。コンテンツというものはファンにとって、もうすこし広くいえば、そのコンテンツのことをある程度知っているユーザにとっては、代替物が存在しない独占商品であるという性質をもっている。
独占商品であるということはどういうことかというと、商品の価格を自由に決められるということだ。だから、コンテンツの価格なんてあってないようなものだといわれることになる。でも現実にはコンテンツの価格もなんらかの理由で決定されているわけだから、どういう力学で決定されるかについて説明しよう。
コンテンツは独占商品の性質を持つと述べたが、先にも述べたように独占商品という性質が成立するのは、そのコンテンツのファン、広げてもそのコンテンツのことを知っているユーザに限られるということが重要だ。そのコンテンツのことを知らないユーザにとっては、ただのCDだったりゲームソフトであって独占商品にはならない。
そしてコンテンツの価格を決めるときになにが基準になるかというと、そのコンテンツのことを知っているユーザがそのコンテンツの価格はいくらぐらいが妥当だと思っているかである。コンテンツの価格なんてあってないようで自由に決められるといってもその対象はそのコンテンツの価格で妥当だと思うような人間がどれぐらい存在するかにかかっているのだ。
そういう意味でコンテンツの価格は教育だったり啓蒙で決定されるものであって、どれぐらいの人間をその価格で妥当であると思わせられるかというゲームだ。
コンテンツは完全な独占商品でないということも話をややこしくしている。コンテンツは完全なファンにとってはほとんどかけがえのない独占商品であるが、ライトユーザにとっては別にジャンルが同じだったらどれでもいいと思っているユーザも多いだろう。その際に、そういったライトユーザがこのジャンルのコンテンツの価格はいくらぐらが妥当と思っているかがポイントになる。そうなると、コンテンツの価格の決定権は個々のコンテンツホルダーでなく、コンテンツのプラットホームホルダーが持つようになると考えたほうが自然だ。前回のエントリでコンテンツの価格はプラットホームホルダーとユーザとの相対取引で決定されるといったのはそういう意味だ。
したがってあるコンテンツの価格がどのぐらいが妥当かという問題は、コンテンツのプラットホームホルダーがコンテンツの価格がどのくらいが妥当だと思うユーザを何人作れるかというゲームに置き換えることができる。
ここまでくると複製コストがゼロだから、コンテンツの価格がゼロになるべきとかいっているひとたちがどれぐらいのアホかわかると思う。
妥当なコンテンツの価格なんて最初から存在していない。存在しているのはそのコンテンツの価格を妥当と思っているユーザであって、それが何人いるかが問題となるだけなのだ。
さらにいうと、上記のコンテンツの独占商品としての性質については、実はコンテンツプラットホーム自体(正確にはコンテンツフォーマット)についても成立する。書籍の置き換えをDVDはできないし、音楽CDとゲームソフトは直接競合しない。ただ、特定のコンテンツフォーマットにプラットホームホルダーが複数いる場合はあって、たとえば東販と日販や、SCEと任天堂はそれぞれ競合関係にある。ただし、その場合も書籍とかパッケージゲームとかいう同一とみなせるコンテンツフォーマット単位で比較すると、独占商品だと考えていい。そういう視点からもプラットホームホルダーがコンテンツの価格決定権をもっているのはあたりまえだ。そしてプラットホームホルダーの役割とは、コンテンツホルダーに対して、ある価格を妥当と思っているユーザをどのぐらいの人数提供できるかになる。
さて、次に、ある相場観をもったコンテンツの価格があがったりさがったりするのはどういう場合かを考えてみよう。
結論をいうと、コンテンツの価格は下方硬直性があり、コンテンツホルダーないし、プラットホームホルダーの明確な意志がない場合は下がったりしない。コンテンツの価格をあげることについてはプラットホームホルダーの意思次第でいつでも可能だ。独占商品だからだ。
でも、でたらめに値上げしたりできないのはなぜか?それはコンテンツの独占性をささえている根拠となっているが、ある意味ユーザの共同幻想だけだからだ。そして水や食料とちがって、コンテンツとは本当の意味での生活必需品ではないからだ。だから価格をあげるについてもユーザの共同幻想を維持できる程度の速度でおこなう必要があるからだ。逆に時間さえかければ、なんらかの理由をつけてコンテンツの価格をどんどんあげていくことは容易だ。
そして最終的に落ち着くコンテンツの価格とはなんだろうか?これについては個別の価格ではなくコンテンツ全体の市場規模で考えた方がいいだろう。それはやはり人間のライフスタイルのなかでどれぐらいそのコンテンツが重要な存在をしめているかの度合いによって、決まっていくと考えるのが妥当だ。
以上を基本の議論として、じゃあ、ネット時代にコンテンツが無料になるとか、なぜいわれているかを考えてみよう。
実は上記のようなコンテンツビジネスが成立するためにはある大前提が必要だ。それは無断コピーされないことである。
無断コピーされないための方法は2種類あって、技術的に難しくするということか、法律と国家権力により禁止するかのどちらか、あるいは両方である。
いずれの手段も存在しない場合には無断コピーされ放題になるので、コンテンツビジネスは”絶対に”成立しない。
パソコンはおよそデジタルデータとして扱えるパッケージ型のコンテンツはすべてコピーできるので、ネットの普及と相まって一般ユーザレベルでも無断コピーを利用することがとても容易になった。そして事実上、法的なリスクも一般ユーザにはほとんど存在しない以上、コンテンツ市場が縮小するのはあたりまえのことだ。
コンテンツビジネスを語るひとに、なぜかこのあたりまえであり一番単純な理屈が分かってないアホが多いのは残念なことだ。コンテンツ市場が縮小する原因をコンテンツの質が昔にくらべて低下したことが一番の原因だというひとが必ずあらわれる。
ある一定以上の競争が成立している成熟したコンテンツ市場においては質の低下によりマーケットが大きく縮小するなんてことはおこらない。あるコンテンツの質の低下は別の新しい人気コンテンツの登場を促すだけだ。特定のコンテンツフォーマットが別のコンテンツフォーマットとの競争に破れて衰退するというのはありうる。だが、たとえば音楽というコンテンツフォーマットも音楽を聴いているユーザー数も変わらないのに、音楽市場が減少するとしたら、違法コピーが原因じゃないなんていうのは脳みそにウジが沸いているといわれても仕方ないだろう。
昔のコンテンツのほうがよかったという人はいつの時代にもあらわれるもので、大部分の原因は老化のため新しいコンテンツを受け入れる感性が鈍っただけなのだが、たまたま無断コピーで市場がシュリンクしているからといって、そんな意見を聴いてあげるのは時間の無駄だ。パッケージコンテンツのマーケットは無断コピーが主な原因として縮小しているのは明白だ。
コンテンツの価格が高すぎるから売れないだけだというひともよく出現するがこれも間違いだ。無断コピーが自由にできる環境では1円でも値段がついていたら、ユーザはお金を払わない。無断コピーが自由にできる環境でのコンテンツの適正価格は0円だ。コンテンツの価格が高すぎると主張するひとは、コンテンツをタダにしろといっているに等しい。
おそろしいことに本当にコンテンツの価格をタダにしろといっている無茶苦茶なひとも世の中には存在していて、しかも割とその主張は正しいものだと世間で受け入れられている。
昨年話題になった”FREE”の著者クリス・アンダーセン氏などはその典型だ。
次回はコンテンツを無料にすべきという主張のどこがおかしいのかについて説明する。
※追記ブクマへのコメント
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>ryozo18 コンテンツが時間の関数となって下落するように見えるのは違法コピーや中古市場が原因ですね。
>frkw2004 ?同じ意見をいっているように思いますが。
>otaxa 残念ながら、そのとおりですね。
>betelgeuse しばしお待ちを。
>khiroaki 各ユーザーの価値観に基づく「適正価格」、なんて、各ユーザはどうやって決めるのですか?
>nazoking そこは本質じゃないですね。あるいは、すくなくとも無断コピーの問題とは別の話ですね。
>ya-mada その認識は間違っていますね。
>dzod もちろん違います。
>hidematu 頭わるそー
>PSV でたー。作り手の気持ち不在www作り手の気持ちの話なんかもとよりしていませんが。
>Bosheit 聞き手は頭の悪いひとのほうが多いですからねー。すみません。わかりにくくて。
>shinimai あったら僕もしりたいです。
>junmk2 いやいやwそれってコンテンツの価値じゃないですよね?中国でコピーされたCDが媒体費よりは高いというのと同じ話ですよ。
>Ikhisa コンテンツが複製が難しい形へ移行するというのはそのとおりで、いくつかあとのエントリで各予定。
>mohno どうぞどうぞ
>quwachy 最初の1回ぐらいは売れるんじゃないですか?
んなところかな。