クリス・アンダーセン氏のFREEが糞な理由
米国ワイアード編集長のクリス・アンダーセンの書いたFREEは日本でも昨年出版されベストセラーになった。まあ、正直言ってバイブル的にありがたがっている読者が大多数であると思うが、僕はこの本をまったく評価していない。別になにも画期的なことをいっているわけではない内容の薄い本だ。ベストセラーになったぶん、世の中的には害毒のみを撒き散らした有害図書だと思っている。ただ、この本をみると、いま、どういうロジックでもって、ネット時代にコンテンツビジネスが搾取されようとしているかが明快になるので、概要を紹介したい。
クリス氏はこの本で一番長くページを割いて一生懸命に説明しているのは、昔から無料でおまけをあげて商品を宣伝して結果的に儲けるというマーケティング手法はたくさんあったという事例だ。つまり昔からある”古い”FREEについての説明である。それから彼はそういった古いFREEとは違う、21世紀型の”新しい”FREEがいかに画期的なものを力説するのだが、その大半も基本は20世紀のFREEと同じで無料で何かを提供するかわりに別のところで儲けるというパターンだという。なにが違うのかというと、ネットを通じてサービスを提供する場合は人数が増えれば増えるほど、また、時間がたてばたつほど、ひとりあたりのコスト単価は下落するので、無料でやっても長期的には損にならない構造があるといっている。よく読むと本当にほとんどそれだけのことしかいっていない。
そして無料でサービスを提供するのは、だれでもできるから、早い者勝ちですよといっているにすぎない。
まあ、ここまでならば、たいした発見とも思えないが、間違ったことは言っていないだろう。ただ、コンテンツビジネスに関わるものとして許せないのだが、ここでクリス氏が意図的なのか、むしろ頭が悪いのか、ごっちゃにしている議論がひとつあることだ。それは彼が無料で提供したほうが特になるという例にコンテンツそのものも含めている点である。
クリス氏が暗黙に前提しているのは、サービスのコストを払っているのは、そのネットサービスを提供している会社なのであるが、実際のクリス氏があげる例には、第三者がお金をかけてつくったコンテンツを無料で利用することによってでしか成立しないものが含まれている。つまり、クリス氏のいうフリーで提供したほうがいいというものの対象にはネットサービスとコンテンツの両方が含まれていて、その区別があいまいになっているのだ。そういう利用の形には、現状違法なもの、違法ではないがコンテンツ産業に損害を与えているものが当然あるのが現実なのだが、どうもクリス氏の主張には他者のコンテンツだろうが、ネットには無料で提供すべきというという思想がふくまれているようだ。別にコンテンツだってそのコストをサービス提供者側が払うのであれば無料でユーザに提供しようが勝手だろう。でも、自分がつくったりお金を払ったものを他人に無料で提供するのと、他人がつくったものを勝手に無料で提供するのは明らかに違うと思うのだが、クリス氏によると同じで、なぜなら、複製コストがゼロだから、というらしい。複製コストがゼロだろうが、他人のものを勝手に無償提供していいわけがないが、この無理を正当化するためにクリス氏が持ち出している理屈は次の3点だ。
(1) 無償で提供しても宣伝になるので損にならない。(例として過去にもラジオ局が無理矢理著作権者の意向を無視してコンテンツを極めて低価格で放送したが、結果的に音楽ファンが拡大し、音楽市場も拡大したことや、中国で海賊版の普及がブランド価値を結果的にあげていることなどを例にしている)
(2) フリーによって社会的な富は増える。(例として百科事典ビジネスとウィキペディアのことやiPodの価値が無料音楽で上がることなどを指摘)
(3) ビットが無料になりたがるのは、この世の真理であり、若い世代は本能的にこれを理解していて、ビット型のコンテンツにお金を払おうとしない。(こんな主張に根拠などあるとは思えないが、一応、作者は別のところで歴史上、以前は希少なものだったのが、潤沢なものに変わったことで経済原理が変わった例というのをいくつかあげていて、ネット時代において、情報が潤沢なものに変わったという主張をしていることを指摘しておく)
(1)の例はようするにコンテンツを宣伝してあげているわけだから、むしろコンテンツホルダーが得をするんだからいいんじゃないかという理屈だ。しかし、マスメディアのなかった時代にラジオが登場したときはともかく、現在のように既にメディアが飽和している状態でネットが新しく登場した場合にネットでの無料コピーがコンテンツ市場を拡大できるとはにわかに信じがたい。クリス氏も狡く、ネットの無料コピーでビジネスが拡大するとは断定せずに、過去のラジオの例などを持ち出して結果的にビジネスを拡大できる可能性もあると指摘するにとどめている。要するに彼も本当はネットでコンテンツを無料で配信してコンテンツの売り上げが拡大するなんて信じちゃいないということだ。実際、メディア産業については縮小するので現在のような高給は維持できないだろうとはっきり書いてあるし、コンテンツそのものでなくその周辺で儲けろと繰り返し述べている。つまりコンテンツホルダーが無料で提供しなければならない理由はまったく示せていない。
(2)の例については完全な間違いだ。クリス氏は、百科辞典ビジネスの例でいうと百科事典のマーケットが失われたが、ウィキペディアによって、より多数のひとの生産性があがったので、計測しにくい形でかつ薄くではあるが、総和では失ったものより遙かに大きくGDPを押し上げていると主張している。クリス氏によると、GDPの上昇した額>GDPの減少した額という不等式は自明で成立しているようだが、これはむちゃくちゃだ。GDPが増えたんじゃなくて、まだ、GDPには計測されないけど、社会的なわれわれの利便性だったりが上昇したというなら、まだ、理解できるが、ウィキペディアの普及することにより、GDPが上昇するか、そしてその金額が百科事典マーケットの崩壊を上回るものかについては、相当な議論が必要だ。少なくとも自明ではない。そして、もっと大きなポイントは、彼が百科事典をGDPが上昇する例として出せたのは、百科事典というものが一応知的なコンテンツとされていて、まだ個人の生産性が向上するというロジックが成立する余地があったからだろうことだ。エンターテイメントコンテンツの場合にはマーケットの崩壊の代償として、GDPを薄くでも押し上げるなんてことは説明できない。GDPに反映されない個人の生活の豊かさを押し上げるという説明する成立するかは疑わしくて、なぜなら、本当にコンテンツをフリーで提供したら、制作費が高いコンテンツのほとんどは世の中からそもそもなくなってしまうからだ。ラジオやiPodの価値を無料のコンテンツがあげているという説明については、じゃあ、ではやはりiPodはせめてラジオ局のようになんらかの金銭的な代償を音楽業界に払うのが当然だろうという理屈が成り立つが、クリス氏によるとそういう発想にはならないらしい。これについては次回のエントリあたりで説明したいと思うが、IT業界にはそもそも伝統的にコンテンツ業界にいかにお金を払わないでコンテンツのパワーだけを吸い取るビジネスモデルを考えるか、という傾向がある。
(3)のビットが無料になりたがるなんていうのはただの自己正当化のためのこじつけだ。世の中の現象の説明としてはともかく、この世の真理だと主張するのは、ただのイデオロギーにすぎない。新しい世代は本能的にビットが無料なことをわかっているから、コンテンツにお金を払わない?なんていうのは噴飯もので、前回のエントリでも説明したが、無断コピーが入手可能な環境で人間がコンテンツにお金をはらう習慣が身につかないのはあたりまえだ。
若い世代がコンテンツにお金を払わないのは旧世代にはわからないこの世の真理を彼らが理解していると判断するのでなく、躾がなっていないと思うのが自然だろう。
クリス氏は、もし自分の子供が他人の持ち物を罪の意識なく盗むように育ったとしたら、原始共産主義こそ、この世の真理で、息子はそれを本能的に発見したのだと主張するつもりだろうか?ふつうの親なら泥棒はいけませんときつく叱って尻でもぶったたく。
前回のエントリでも指摘したが、コンテンツビジネスが成立しないのは無断コピーが自由にされるときだ。PCとネットの発達により、現状無断コピーされやすくなったことからといって、じゃあ、無断コピーは正しいというのが世の中の真理だ、なんていうのはおかしくは、まずはじゃあ、どうやってコンテンツが無断コピーされない仕組みをつくるかが正しい対応であり、すくなくともコンテンツ業界がそういう試行錯誤をおこなうのを邪魔する権利なんてだれも持たないはずだ。あるいは確かに現状の多くのパッケージ型のコンテンツフォーマットはネット時代に無断コピーを防ぐことは困難で、死にゆくビジネスモデルかもしれない。だが、そこで求められるのは無断コピーされないような新しいコンテンツフォーマットはなにかという問いであって、無断コピーを堂々と許す世の中ではない。これについては僕は以前からコンテンツのフォーマットはパッケージ型からサーバ型あるいはクラウド型とでもいうような形に移行しなければならないと主張しているが、ここでは詳細は省く。
最後にコンテンツを無料にしたほうが儲かるというクリス氏の欺瞞に満ちた主張についてコメントする。FREEはその本の主張の実践として、FREEの電子版のPDF文書をつくり、期間限定で無償提供したことが大きく話題になった。そのことだけでベストセラーになったかどうかは分からないが、大変効果的な宣伝となったことは間違いない。実はコンテンツは無料で提供したほうが必ず売り上げが大きくなるとはクリス氏は主張していない。ここが彼の確信犯的に狡いところだ。
彼がいっているのは他のひとよりもいち早くフリーにしろである。FREEの例でいうといままで出版の世界で新刊を発売前に無料で配布することなんて前例がなかったから、話題になったのである。無料で配布したから売れたのではなく、無料になったことが話題になって大きな宣伝になったから売れたのである。もし、すべての新刊本が発売前に無料配布することがあたりまえになったら、出版業界は大打撃を受けて市場が縮小することは間違いない。ゲーム理論でいうと囚人のジレンマで自分だけ最初に裏切れ、他のプレイヤーに先に裏切れとクリス氏は主張しているわけだ。彼のいうことを信じるひとが増えれば増えるほど、コンテンツ市場全体が確実に縮小して全員が損をするのだ。クリス氏が欺瞞的だと思うのは、彼は明らかにそれをわかっているのにこの都合の悪い部分の説明を避けていることだ。コンテンツの無償提供の先にコンテンツ業界にとって、明るい未来など待っていない。ただのダンピングにしかならない。コンテンツにお金を払うのが、いよいよもって馬鹿らしいと思うユーザを増やすだけなのだ。
もうひとついうと、コンテンツの無償提供をおこなうことにより、コンテンツホルダーは長期的なメリットはなにもないと説明したが、例外がある。しかし、それは個々のコンテンツホルダーではなくプラットホームを提供しているところだ。なにかのコンテンツプラットホームホルダーやネットサービスの運営者についてはコンテンツの無償提供によりユーザを獲得することで長期的な利益を確保できる可能性がある。だが、個々のコンテンツホルダーにはない。
こんなところで今日のエントリは終わるが、次回はネットがいかにコンテンツ業界を搾取しているかについてもうすこし詳しく書いてみよう。
クリス氏があげるFREEの例でおそらくは一番成功している例なのだが、汎用性がない(つまり真似ができそうにない)ので彼の書の中でも扱いに困っていそうな”あるサービス”についても説明しよう。Googleである。