起業するのに経営理念なんて必要ないんじゃないかな

わりあい恩知らずな言動をとることでは定評のあるshi3z氏が、めずらしく殊勝なブログを書いている。


少々、触発されて思ったところを書いてみる。


起業や経営の本には、よく、経営理念の大切さについて力説しているものが多い。何故、経営理念なる抽象的なものが、そこまで重要なのか、僕も幾度となく考えてきた。


経営理念とはどういうものであるかについて僕なりの考えを書いてみることにする。


まあ、普通に考えると、経営理念の存在は会社の存続にはあまり役に立たないように見える。むしろ、本当にそれを守るとしたら邪魔なものだろう。
なぜなら、起業というゲームで次々と迫られる選択肢で、その時にもっとも正しいと思う解を選ぶためには、しがらみは少ないほうがいい。
経営理念をなにかつくって、いちいちそれにお伺いをたてるなんて、わざわざハンデを背負ってゲームをするようなものだからだ。


もし、経営理念が社員のひとりひとりに浸透させて、会社にとって得になるような影響を及ぼせるもの(せめて損はそれほどないもの)だと仮定すると、次のどちらかが条件になるだろう。


(1)本当に役に立ちそうなビジネスのtipsであること。
(2)毒にも薬にもならない抽象的なきれい事であるか、もしくは実現が難しい高い目標であること。


最初の(1)に該当するようなもので想像するとすると、たとえばこういうものだろうか?


・ けっして借金をしてまで事業を広げてはいけない。
・ 経理をまかせるのは信用できる身内だけにしろ。
・ モノを仕入れるときには、まず値段を聞いたら高いといえ。


ある局面によっては実際に商売に役に立つかもしれないtipsだ。ところが残念ながら、こういう類の家訓めいたものは経営理念とはあまりいわないようだ。みんなが求めている経営理念とはなにか崇高な使命感にささえられたものでないといけないらしい。


世の中のほとんどの企業が掲げる経営理念とは、だいたい(2)のケースに該当する。「XXXを通じて世の中の幸福に貢献します」だの「△△△の世界のリーディングカンパニーを目指します」とかいう宣言をおこなっている。当然のことながら、起業したばかりの企業がそういった経営理念を掲げても、とても空虚な寝言にしかみえない。なぜならスタートアップのベンチャーには実績もなければ、どんな小さな分野ですらトップをとることは難しいからだ。こんなものを一生懸命につくって、本当に社員が心をひとつにして団結できるのだろうか。


shi3z氏が経営理念はスタートアップの企業にとっては、秘密のマントラのようなものだと書いているのはそういうことだろう。要は実現不可能に見える寝言みたいな経営理念を掲げて公表しても恥ずかしいだけで、社員から馬鹿にされるのがオチだということだ。


経営理念とは起業より先にあるものではなく、企業が創業からの苦難に満ちた試行錯誤の中で積み上げた実績によって自然と生まれ落ちるものだと僕は思う。でないと説得力を持たない。どうせ起業するなんてアホな決断をした経営者が、初心をつらぬいて成功できるビジネスプランをもっている可能性なんてゼロに等しい。できたばかりの会社が、これからなにものになるかなんて経営者自身も含めてだれも分かりやしないのだ。


だから創業まもないベンチャー企業にとっては経営理念などつくっても無駄だと思う。どうせなら「今月の経営理念」とかいって、トイレをきれいに使おうとか、電話がかかってきたらすぐに取ろうとか、全然崇高でもなんでもないことでも謳ったほうが、役にたつ。


創業期において社員を引きつけるのに経営理念なんて抽象的なものは実際のところ役に立たないのだ。もっと具体的に面白くて成功しそうなプロジェクト、だれもやっていないテーマや、世間で注目を集めそうななにかを、はっきりと指し示さなければひとはついてこない。というか、それですらついてこない社員のほうが多数派だ。


経営理念なるものが意味があるとすれば、それは社員のためのものではなく、経営者自身のためのものだと僕は思う。経営者自身がそれを信じて自分がビジネスで突き進むための拠り所になるべきものだ。


経営理念と企業理念という言葉はほぼ同じ意味で使われる。とくにスタートアップ企業にとっては企業の理念とはすなわち経営者の理念のことだ。だから経営理念のほうが適切な言葉だと僕は思っている。そういった理念を文字にしてみた場合、その言葉どうりに、どれだけの覚悟をもって行動できるかどうかという問いをまずは経営者自身が自分で反芻してみるがいい。そう簡単に自分が覚悟を決めれる言葉なんてつくれないはずだ。もしつくれたとしても社員もそう思ってくれるかは別問題で、まず、経営者のひとりよがりに終わるぐらいに思っておいたほうがいい。


社員がもし経営者に共感するとしたら、理念の中身ではなく、理念をどれだけ実現できたかの結果に対してだろう。実現もしない理念なんて社員にはなんの魅力も与えない。ただ、理念をもって突き進む経営者の姿にはなんらかの共感をひょっとしたら感じる可能性はある。その場合も重要なのは理念の中身ではなく、いろいろな困難を理念らしきものをもってのりこえていく経営者の姿勢そのものにある。shi3z氏がいう”ギラギラしている”とはそういうものじゃないかと思う。


経営理念の中身そのものは経営者だけが理解し、納得していればいい。そしてそれをまわりの人たちに広められるかどうかは理念を説き続けることではなく結果を示して証明することだ。


経営理念を説くことより大事なことがスタートアップの会社にある。それは会社の危機において逃げずに立ち向かう勇気と覚悟を持つことだ。


会社をつくると逃げたくなるような苦労や危機に何度か直面することになる。そのときに力を与えてくれないような理念に意味はないと思う。自分のちっぽけな自尊心からなる夢や目標なんて本当の危機に直面したときには、逃げる言い訳には役にたっても、立ち向かう勇気は与えてくれない。


起業したばっかりの経営者に必要な理念なんて、「自分の親、お世話になったひと、尊敬する人、そういったひとにとんでもない迷惑をかけるようなことだけはしない」←こんなもんでいいじゃないか。とりつくろったうわべだけのきれい事なんかに社員どころか自分自身ですら、命をかけることなんてできやしない。経営者が本当に苦労したときに頑張れるかどうか、逃げずに立ち向かえるかどうか、そんなときにかっこつけたプライドなんて意外と脆いものだ。


自分のまわりの大切なひとを守ること以上に経営者が最後まで踏ん張れる理由は見つからないと僕は思う。


そうやって一周目のゲームに生き残ってきた企業が二周目のゲームで自らに課す縛りプレイというのが経営理念というものじゃないかなと思うのだ。