コンテンツプラットホームの未来

今後のコンテンツプラットホームはコンテンツと融合する


以上、結論。おわり……でもいいんだけど、もうちょっとだけ(実際はかなり)補足する。


ちなみに、このエントリは、ぼくの一連のコンテンツプラットホームに関するエントリで、文句とか批判ばっかりいっていないでどうすべきか書きやがれと、本来であれば相手する必要のない定番の文句をたれるひとたちへの解答でもある。


それは、およそあらゆる種類のプラットホームは色がつく方向に進化する、という話だ。


これは通常、IT業界でよく聞く定石とは逆の話だ。プラットホームを提供するプレイヤーは通常は対象となるユーザをすべて囲い込むために中立の立場をとったほうがいいといわれる。プラットホームには色がつかないほうがいいとされているのだ。


実際にCGM/UGC系のサービスの多くで運営側が「われわれはユーザのみなさんが自由につかっていただけるように場を提供することに徹します」というような文言を掲げているのはよく見ると思う。


ぼくがこういう考え方が間違っている可能性を考えはじめたのは、それだと、プラットホーム間の競争がパワーゲームになってしまい既存の巨大プレイヤー、それも米国プレイヤーが有利なゲームになってしまうからだ。つまり、新参プレイヤーでも勝てるゲームのほうがいいという願望がきっかけだ。


そもそも色がつかないプラットホームのほうがいいという戦略はなにがいいのか、メリットを考えてみると以下のふたつぐらいしかないと思う。


・ 対象とするユーザの母数が増える。
・ 中立の立場をとることによりユーザからの無用の反発をうけないですむ。


上記のメリットが成立する暗黙の前提条件は次のとおりだろう。


・ 色をつけてもプラットホームへのユーザはそれほど増えない。
・ 上にくわえて、色がついたことにより失うユーザのほうが多い。


つまり逆にいえば色をつけたことによりユーザの吸引力を大幅に高めることができるのであれば、色をつけるという戦略は成立する可能性があるということになる。


ではなんで一般にはプラットホームには色をつけないほうがいいとされているのか。それは色をつけるということが、魅力的な色をプラットホームにつけるということがとても難しいからだ。それは結局プラットホーム自体をコンテンツにしていくということだからだ。プラットホームホルダーが同時にアーティストであることを目指すということだ。


遊園地の世界でもディズニーランドのライバルがなかなかあらわれないのも、アップルを超えるカリスマブランドがIT業界に登場しないのも、魅力ある色をプラットホームにつけるというクリエイティブな目標が如何に難しいかを示している。


しかし、時代は色のついたプラットホームの方向へ必ず進む。なぜなら一度、あるプラットホームがマーケットを制覇したときに、規模で勝てない新規プレイヤーが対抗するには魅力ある色をつけるほかないからだ。


ちなみに色をつけるということはターゲットとなるユーザを限定するとかいう単純なことをいっているわけではない。ターゲットとなるユーザに新しい世界観、新しいライフスタイルを提供するものでないといけない。女性誌の歴史をみても総合誌が衰退し、専門性の高い雑誌に主流がうつる過程においても、勝者になるのはターゲットの読者のニーズにただ迎合したものではなく、強い個性を持ち流行を自らつくり出すような雑誌だ。


ネットにおいても色のない中立なプラットホームがいったん覇権を確立したあとは、強い個性をもち流行を自らつくり出すようなサイトが新しいプラットホームをつくり勢力図を塗り替えるだろう。


……閑話休題


さて、インターネット上のコンテンツプラットホームの今後についての話をしよう。


ネットでのコンテンツプラットホームがどういうものになるかを考えるときには、アナログレコード→CD、VHS→DVD→BD、NTSC→ハイビジョンといったフォーマットの基本構成がデータ密度以外は、ほぼ変わらない、かつ、前回のプラットホームの切り替え時代を覚えている人間のほうが業界に少ないような世界よりは、ゲーム業界のプラットホーム変遷をみたほうが参考になる。


ゲーム業界のプラットホーム変遷の過程でおこったことで注目すべきと思っている重要ポイントをあげてみる。


・ プラットホームの変化の前後でゲーム会社の勢力図が大きく変わることが多い。ついていけないゲーム会社は没落し、また、新興ゲーム会社が台頭するきっかけとなる。


・ プラットホームの正当進化は、コンテンツの高度化、複雑化、制作コストの高騰をもたらし、ユーザはコア化し、一般ユーザは離れていく傾向にある。

・ 上記の一般ユーザの離反は、ユーザ層の年齢層の垂直拡大(若年コアユーザが年をとるので)と平行して起こるのでわかりにくい。

・ プラットホームをリセットしようとしたwii/dsでの任天堂の試みはコンテンツの制作コストを下げるのに貢献したが、同時にサードパーティの多くがマーケットから取り残された。

・ プラットホームホルダーが事実上いない自由であるはずのPCゲーム市場の有力プレイヤーは、儲かるのでゲーム機市場にビジネスの軸足を移した。


ゲーム業界と比較してネット上のコンテンツプラットホームというのはどういうものに変わるのだろうか。


まずチップの開発からスタートするようなゲーム機とちがって、ネット上でのプラットホームはプレイヤーの数が大幅に増えることが想像できる。また、コンテンツフォーマットもほぼ固定されるゲーム機とちがって、ネット上のプラットホームのコンテンツフォーマットは頻繁に変わるだろう。また、プラットホームあたりユーザ数とコンテンツ単価も当初は小規模になることが予想される。


こういうプラットホームではサードパーティが存在することが非常に難しい。サードパーティがリスクある新しいコンテンツフォーマットへの対応なんてしてくれるわけがないから、必然的に面白いコンテンツをつくろうとするのであればファーストパーティ、セカンドパーティだけでもいいやと割り切った任天堂スタイルを選ぶことになるだろう。


また、コンテンツのコスト単価を下げるのにはフォーマットをリセットすることが重要だから、この点でもどうしても経験のないサードパーティにつくってもらうことが難しく、任天堂スタイルになってしまう。


つまり、ネット上でのコンテンツプラットホームはコンテンツプラットホームホルダーがコンテンツを自ら開発するという形態が一番、現実的になる。


これは実はすでにそうなっている。ネット上で課金が成立しているコンテンツプラットホームは、オンラインゲームか、コミュニティでのアバター販売だ。


では、サードパーティが存在できるコンテンツプラットホームはネット上にはないのだろうか?iPhoneアプリなんかはどうだろうか?これについては既にいくつかエントリを書いているので詳細な説明は省くが、結論だけいうと、自由にサードパーティが参入できて、なおかつ、上位プレイヤーが十分に儲からないコンテンツ市場というのは失敗する。サードパーティがプラットホームホルダーに対抗できる大きさに成長できないから、ベストケースでも、UGCの変形みたいなものにしかならない。その後のshi3z氏のエントリではandroidなどの複数のiPhone型のプラットホームができるとコンテンツプロバイダの地位と収益性が向上するという主張もあるが、これはあたらない。


コンテンツのマルチプラットホーム戦略はプラットホームそれぞれで十分に儲からないと成立しない。儲からないプラットホームがいくら乱立しても駄目だ。ひとつでも儲かるプラットホームがあって、そこでのキラーアプリをもっているプレイヤーは、他のプラットホームに対して立場の強い交渉が可能だが、開発費のリクープのためにマルチプラットホームにすがるような立場のプレイヤーでは、プラットホームホルダーに全然、対抗できない。


では、逆にコンテンツプラットホームホルダーに対抗できるようなサードパーティの条件というのはどうだろう?
それはプラットホームホルダーに依存しない別のプラットホームを持っているプレイヤーだけだ。
yahooやmixiなどの大量のユーザベースを抱えているサイト、有名ゲームのような熱烈なファンをかかえているブランド、などが唯一交渉力をもつコンテンツの提供元だ。
コンテンツプラットホームだけでコンテンツをつくっているプレイヤーがプラットホームホルダーに対抗するためには、事実上、自分自身のプラットホームを抱えているのと同じ状態をつくりだす必要がある。例をあげると、自力のプロモーション力をもっているかどうかとか、市場に認知されているぐらいにブランド力が蓄積されることである。認知は一般人+コンテンツプラットホームホルダーの偉い人がしってもらうぐらいでないと交渉力にはなる結果は出せないから、具体的にいうと、TVCMがうてるぐらいに儲かるかどうかというのが現在の時点での大きな分かれ目になる。


TVCMとかいうと、また、大手以外は関係ない話をしやがってと思うひとも多いかもしれないが、プラットホームホルダーとコンテンツホルダーの間でどのようなルールのゲームがおこなわれているかはすべてのゲーム参加者は知っていて当たり前だし、知るべきだと思う。宝くじを買うとき、一等じゃなく末等があたることを夢見るのなら買わなければいい。麻雀であればアガったときの役を覚えるのは当然だ。ポンとかチーとかしたり、チョンボをしないことぐらいで喜んでいてもしょーがない。


サードパーティが力をもてるかどうかについてはTVCMがうてるぐらいまでならないと駄目ということだが、そのためには、当然、コンテンツの市場規模が十分に大きいことが必要で、また、全員のプレイヤーがTVCMをうつわけじゃないから、TVCMをうてないプレイヤーでもそれなりのプロモーション手段が用意されていないといけない。(ちなみにiPhoneアプリに決定的に足りないのはここだ。せめて儲からなくても、ブランドだったりユーザだったりが蓄積する仕組みがあればなんとかなる可能性があるが、それも弱い)


ここで、プロのコンテンツクリエイターを目指すのであれば考えなければいけない最重要ポイントをいっておく。どうやって素人に勝つか?である。なにか、素人にはできないことでユーザにとっても決定的な差別化ポイントをみつけなければいけない。コンテンツをつくるのに投入する時間だったりお金だったり、特別なツールだったり、プロモーション手段だったりだ。センス?そんなのもっていて当たり前だし、素人にもセンスのあるやつなんかいくらでもいる。


素人と競争するからコンテンツにコストをかけられないという人がいるが、逆だ。素人と競争するからこそ、なんとかして有効なお金のかけかたを見つけないといけない。小作農のようなアフィサイトが一時流行り、手間のかからないサイトを大量生産して一時的に小銭を稼いだひとたちがいたが、その小銭すらだんだんと競合が増えてきて稼げなくなった。競合の多いコンテンツプラットホームで安易にコンテンツの低コスト競争をくりひろげると、同じ運命が待ち構えている。問題はどうやってコンテンツを安くつくるかではなく、どうやって(競争力があって)高いコンテンツをつくるかだ。


高いコストのコンテンツをつくることに成功したら、つぎは高いコスト構造を維持するための安いプロモーション手段をもたないといけない。そこでさきほどの話にもどるが、プラットホームホルダーに依存しない独自のプラットホームを持たないコンテンツホルダーは今後やっていけなくなるだろう。これは以前のエントリにもちらりと書いた。


コンテンツホルダーがプラットホームを持つということはどういうことだろうか?簡単にいうとユーザとダイレクトにつながることだ。
ユーザにプラットホームホルダーの名前ではなく、コンテンツホルダーの名前を覚えてもらうということだ。


コンテンツプラットホーム上に自分のプラットホームが築けるのが一番楽ちんで理想だが、プラットホームホルダがそういう方法を用意してなかったり、信用できなかったり、立場を強くしたいのであれば、コンテンツプラットホームとは独立に自分のプラットホームを持たなければいけないだろう。純粋なコンテンツだけでビジネスするのは今後はどんどん難しくなる。


純粋なコンテンツといえば、完全にフォーマットが固定されている音楽コンテンツや映像コンテンツはネット時代はどうなるだろうか。


同じことがいえる。クリエイターがコンテンツをお金に換えるためにはコンテンツの質以外にプラットホームが必要だ。ファンクラブなどがしっかりしていないクリエイター、なんらかのメディアとひもづいていないクリエイターは交渉材料をもてない。


フォーマットが固定されているコンテンツの場合は、マルチプラットホーム戦略が有効だ。その場合、今後、鍵になるのは、顧客情報とマーケティングの主導権をコンテンツホルダー側が握れるかどうかだ。


iTMSの場合、価格決定権もマーケティングのオプションもすべてアップルに握られている。アップルがショップの裁量として売価を決めたり、セールスキャンペーンをしたりするのは当然の自由だろう。しかし、現実には定価を変えたり、CDの外装を変えたり、特典DVDとセットに売ったり、購入者限定のライブの抽選券をおまけにつけたりするような、これまでのパッケージビジネスでは可能だった商品企画の段階から、アップルの意志と同意なしにはなにもできない。


このプラットホームホルダーに力が集中する構造を変えないとどんどんコンテンツは規格化されていき、代替の効くコモディティとして扱われ、無料に近づいていく。消費者にとってはラッキーなことのように一見みえるがまやかしだ。もうからないコンテンツの文化は間違いなく衰退する。プロの作品がアマの作品と差別化できなくなり、素人のつくった作品しか残らなくなる未来だ。


そのためにはiTMS以外にも有力なコンテンツプラットホームが成立することが必要条件だが、十分条件ではない。


コンテンツ側が顧客情報とマーケティングの主導権を握ることが必要だ。そのためにはコンテンツのデータのコピーをDRMつけて販売するのではなく、コンテンツの利用権をコンテンツ側が管理するサーバで集中管理して、iTMSなどのコンテンツの販売プラットホームも、コンテンツ側の利用権の管理サーバにアクセスするような構造になる必要がある。


これができると、購入者はどこでコンテンツを購入しようが、どこでも利用できるという環境がつくれる可能性がある。また、特定の購入者だけへの限定販売や優待販売。かってPCパッケージソフトであったようなアップグレードビジネスみたいなものも可能になる。


こういうプラットホームをコンテンツ側は共同でつくれないと、いずれプラットホームホルダーの付属品みたいな位置にしか、コンテンツホルダーは存在できなくなる。


問題は世界的にコンテンツ側の役者たちが、ジョブズなどにくらべて、ITリテラシーが低すぎて、大同団結できるイメージが全然わかないことぐらいだ。着メロが鳴ったぐらいで金取ろうとか、いちゃもんつけている場合ではない。勝負のポイントはそこじゃない。面倒くさくてもネットで配信する場合のコンテンツ会社にとっての顧客は配信会社ではなく個々のユーザになるように購入したユーザをトラッキングする仕組みを配信会社とは独立につくるのが急務だ。


iPhoneよりもましなデジタルコンテンツのマーケットとしてwiiXBOX360があることを書くことを忘れていた。でも、まあ、iPhone同様のマーケティングの難しさは同じだ。有効なプロモーションの手段は用意されていない。特にオリジナルコンテンツで勝負するところが、知名度のある旧作コンテンツがライバルとなるのがとても厳しい。プラットホームホルダーのプロモーションもそういった過去のビッグタイトルに集中してしまう。ただ、ゲーム機上のデジタルコンテンツ販売の場合に、iPhoneと異なるのはプラットホームホルダーもそこからコンテンツで収益をあげようとしていることだ。だから、単価も高めに設定されているし、将来的にビジネスが成立できるように進化する可能性があると思う。


さて、だらだら、書いてきたら、どうやってこのエントリを締めていいのかわからなくなった。


最後に、iPhoneのコンテンツマーケットが成功する可能性がないわけでもないということもいっておく。それにはiPhone上のコンテンツが社会的なブームを起こすことが条件だ。かっての着メロのようにである。


その場合のキーとなるのはユーザの密度だ。携帯電話自体は、ほぼ日本人すべてがもっていると考えていいから、携帯電話機のシェアのうち過半数iPhoneが占めるようになればいい。全世代でなくて、若年層の過半数でいい。それでiPhone上のコンテンツで着メロやたまごっちのような社会的大ヒットをおこせる可能性がうまれてくる。現在のiPhoneのシェアは派生的なサービスでヒットが起こるには低すぎる。


同様にゲーム機上でのデジタルコンテンツの普及もゲーム機の稼働台数の半分以上がデジタルコンテンツを購入しているような状態をつくることが重要だ。いまのところ一番近いのは360だろうか。


過半数以上が利用している状態になれば、iPhoneやゲーム機自体を世の中に普及させているさまざまなパブリシティ効果がダイレクトにコンテンツにも効いてくるので、一挙にプロモーションが楽になる。



さて、強引にまとめる。


まあ、現実的に考えて、権利者団体が突然覚醒する可能性は高くはないので、コンテンツホルダーは、とりあえず自分たちだけでもプラットホームをどうやって握るかを考えたほうがいいだろう。


また、IT業界側は、コンテンツホルダーの協力を期待したり、強制しようとしたりするのはやめて、自分たちでコンテンツをつくることを考えた方がいい。その場合はフォーマットも自分たちでつくるのが結局一番安くつく。


そして、すべてのコンテンツはプラットホームと融合する時代がくる。