再考:堀江さんの罪

前回のエントリでは、メカAG氏と消毒氏の非論理的な部分にたいして批判したわけだが、非論理的なことを非論理的に批判するなと、多くのひとにぼくのほうが批判されてしまった。おそらくコメントしてないひとでも、そう思ったひとは多かっただろう。ぼくはそのつもりはなかったが、現にそうとったひとが多かったことは、ぼくの文章能力の問題だ。率直にお詫びする。


とはいえ、ぼくは声なき読者に謝罪する気持ちはあっても、実際にぼくがきちんと反論していないなどと、書き込んだひとに対してはまったく謝るつもりはない。なぜなら事実はそうでないし、ネットで他人を批判する自由は逆に批判されかえすリスクとセットであるべきだと思うからだ。


fromdusktildawn氏はツイッター上でぼくの前回のエントリを以下のように批判した。

fromdusktildawn たとえ相手の論の大部分が非論理的だったとしても、わずかに残った論理的な部分を取り上げて論理的に反論しないと面白いコンテンツにはならない。相手の非論理的な部分にだけ反応するとゴミブロガーまっしぐらだよ。


一方、そのあと、当のAGメカ氏は次の記事でこうコメントした。

短気な人間なら「俺はこんなこと言ってねーぞ」と怒り、その時点で反論を放棄したかもしれない。kawangoは文句を言いつつも、ちゃんと反論を続けている。痩せても枯れても、さすがである。


まあ、ぼくはAGメカ氏に文句たらたら書きなぐってはいたが、ちゃんとまじめに反論もしていたのだ。ようするにfromdusktildawn氏が、主張するとおりのことをkawangoはちゃんとやっていたと、文句いわれた当のメカAG氏は思っていたことになる。


まあ、そのあとなんだかんだとfromdusktildawn氏は逃げ回って誤摩化そうと努力しているわけだが・・・、まあ、人格批判は評判悪いのでやめることにしよう・・・。


ああ、でもしたい。とても人格を批判したい。だって腹が立つんだもの。


まあ、折衷案としてfromdusktildawn氏への批判はこのエントリに最後におまけのコラムとしてのせることにする。嫌なひとは読み飛ばしていただきたい。


さて、fromdusktildawn氏や消毒氏、メカAG氏もふくめて、いろいろなひとの批判はようするに堀江氏がやったことがいかに悪いことであり、株式市場を歪めるかということだ。


どうもみなさんぼくの主張および価値観を誤解しているようなので、あらためて説明したい。ぼくは堀江さんがおこなった行為そのものについては嫌悪の対象だ。それは最初から表明している。

冷静に考えて、ライブドアというポータルサイトとフジテレビの価値が釣り合うわけがない。それが、時価総額だか、MSCBだがしらないが、よくわからない理屈で歴史ある大企業が簡単に買収されそうになってしまったのは、どう考えても公平ではない。こういうのが許されるのであれば、株価をあげるテクニックがうまいだけの経営者が日本経済をいずれのっとってしまうことが可能だろうし、別に日本の経営者じゃなくても外資が日本経済をのっとることも同様に可能だということだ。だから、日本という社会が、もしくは国家権力が堀江さんを叩きつぶすという判断をするのはすごくまっとうで自然なことだと、ぼくはいまでも思う。(ぼくが堀江さんを応援する理由(後編)より)


ここはぼくの倫理観をよくあらわしているところだ。そもそもぼくは合法違法を問わず、株価をあげるテクニックそのものが存在することが気に食わないし、結果、くそ企業がフジテレビを買収できるという結果になっている時点で犯罪だと思っている。ぼくの個人的な倫理観ではマネーゲームそのものが悪だ。MSCBとかLBOだったり自己資本に組み入れ可能な劣後債とかは存在自体が許しがたいというのがぼくのスタンスだ。しかし、どうも世の中の正義はぼくほど過激ではなく生ぬるいらしい、ということも分かっているから、そういう現実を受け入れて生きている。実際問題、食わなきゃいけないから、本来許せないそういう社会の仕組みも多少は利用していて恩恵を受けている。ちょうど原発反対者が原発の電気も利用しながら文明的な生活を送っているようにだ。


だから、資本取引を結果的に利益にとりこむことがいかに悪いことだかを一生懸命メカAGさんなどは教えてくれるわけだが、そんなことは最初からわかっているし、ぼくにとってもありえない犯罪だ。そんな抜け道があったら、いくらでも株価操作で利益がねつ造できる。実際にそういう類いのことをライブドアはやっていたという指摘もあった。ただし、ぼくがありえない犯罪だと思っているもので犯罪じゃないことになっているものも世の中にはくさるほどあるし、これがOKでこれはNGだという理屈そのものが茶番にしかみえないというのがぼくの感覚だ。こうこうこういう風でマネーゲームをすれば合法だし儲かるんですとかいう説明と、これは実態はこうだからこういう風に解釈すべきで、だから犯罪なんですとかいう説明は似たもの同士の喧嘩に見える。


これまでのエントリでの主張の繰り返しになるが、なぜぼくが堀江さんを無罪と思うか、というと、堀江さんと実際に会ってみて、彼がまったく悪いことをやったと本気で思っていなかったからだ。彼は本当に法律を守りながら、儲けているつもりだった。ようするに彼は間違って犯罪と解釈されてしまうことをやってしまっただけなのだ。


間違っても犯罪と解釈されることをしたのなら罪は罪という理屈はそのとおりで仕方なかろう。でも、いきなり意図的に粉飾を堀江さんがしたと糾弾されて罰金だけならともかく実刑判決までくらうのか、まったく意味がわからない。(なお、これも最初からいっているがCFOの宮内氏はわかっていただろうし責任もあると思う。)


堀江さんはもともと世間知らずのオタクなのだ。オタクがビジネスというゲームを彼が理解したルールにもとづいてつきつめちゃったということだ。ようはこの方法だったら合法で儲かりますっていう部下の財務担当者の説明をコンピュータオタクあがりの社長が信じちゃったってことでしょ?


会社にもよるだろうが、通常、こういう財務的な問題を社長自身がリーガルチェックをおこなうことはない。もともと財務に明るい社長じゃなければ財務担当者の説明に頼るほかない。で、監査法人との話し合いも財務担当者がやっているだろうから、財務担当者が大丈夫です、という説明をしたら、多くの社長はその判断を信じてしまうだろうとぼくは思う。


取締役はこういう会計的な知識をもつのが義務だという主張をしていたひともいたが、なんで、ライブドア事件みたいなスキームの是非を自分で判断できることが取締役の条件にならないといけないんだ、と思う。ようするに叩き上げの職人タイプの経営者は存在してはいけなくて、会社は会計知識豊富でマネーゲームが得意なひとたちばっかりによって支配されるべきってことだよね?嫌悪すべき世界だ。


まあ、社長なんだから、会社全体に影響与える犯罪を社長が責任とらないわけにはいかないと思うけどね。だが、こんな要求を突き詰めていったら社長はリスクを回避するためには本業のビジネスなんてできなくなるだろう。


なので、そろそろ結論をまとめると、堀江さん自身が無罪という考えを変えるつもりはない。やったこと自体は悪いことに決まっている。それが犯罪とみなされるかどうかはそのときの世の中が決めることだ。社長が全部を理解することを要求され、全部に責任とらされるのはフェアじゃないし、ろくでもない社長が増えるだけってことだ。


というわけで、とっとと、おまけであり本題でもある人格批判にはいる。嫌いなひとはここで読むのをやめてほしい。

おまけ1


さて、このエントリの最初で紹介したfromdusktildawn氏のツイートに、思わず適当なことをいいやがってと怒ったぼくは、ちゃんと読めや、と返信したわけだがその回答がこれだ。

fromdusktildawn これは「お前はちゃんと読んでいないから間違ったことを言うのだ」ということを具体的な根拠を示さず言っている。そこからは「俺は正しくお前は間違っている」以外の情報が読み取れないので話がかみ合いようがない。RT @kawango38: @fromdusktildawnちゃんと読めや


具体的な根拠もなにも、ちゃんと読んでないだろー、と怒った訳だが、まあ、一見、正論にも見える返答をされてしまった。


でも、そのあと、当のメカAG氏自身がfromdusktildawn氏の見解とまったく正反対の内容をコメントしたわけで、そのことを指摘したのだが、まったく回答がなくて無視をした。かわりにこんなこととかをつぶやきはじめた。

fromdusktildawn こういう法的に悪とすべきかどうかは微妙だけど道徳的には露骨に人を騙すようなことをやっている経営者本人を道徳的にも悪であるかどうか疑問であるという主旨のことを主張するのは正直、ぼくとは感覚が違いすぎていて、一緒にビジネスしたらあまりの心労にすぐに十二指腸潰瘍になりそうな気がするよ。


ぼくはやったことは道徳的に悪だと最初から主張していたことは上でも説明した。やったことが悪だというのと経営者本人が悪だというのは違う。


というか、てめえ、いろいろ呟きはじめたのはまるでぼくと議論で対立しているかのような偽装だろ?ぼくが文句をつけているのは相手の書いていることをまったく読まずに批判する態度だ。


あげくのはてにはこういうことまでいいだした。

fromdusktildawn 上場企業の会長がtwitterとブログで実名で罵倒や人格攻撃をするというのはすごいな。ネットで実名を公表せずに活動している人を知らずに罵倒したら、中の人は自分の今後の取引先になる可能性だってあるだろうに。会長〜やめて〜(涙)とか思って眺めている社員とかいそうで気になるな。


おそらくいやがらせのつもりで書いたのだろうが、自分が都合の悪いことがあったときにそのことにはふれずに攻撃をはじめる。彼はそういう人間だということだ。

fromdusktildawn 上場企業の会長が実名で人格攻撃と罵倒をするのも凄いと思うけど、自分を信じて出資してくれた株主を騙すような決算書を出すことに罪悪感をみじんも感じてない心根を全世界に公開しちゃうのもすごい。 / はてなブックマーク - なぜ堀江さん有罪派の…http://htn.to/DgBtmw


だから、おれは最初から堀江さんのやったことについては否定しているだろ。やっぱり、おれのブログを全然、読んでないじゃん。


ひとのブログを読まずに批判して、ちゃんと読め、といわれると根拠を示せと答える。こんなのまともな議論のやりかたではない。そして都合が悪くなるとごまかしていやがらせをはじめる。どうせ現実でもそういうことしてんだろ。


君はネットではずいぶんと立派なことを書いているが、だいたいネットで立派なことを書いているやつなんていうのは、現実でひまで話をきいてもらえる相手がいないからに決まっている。(ソース=自分)


相手の話をきかないでひとりよがりに理屈をいってるから、ネットでしか話をきいてもらえる相手がいなくなるんだ。

おまけ2


当時のライブドア取締役だった熊谷史人氏が興味深いツイートをしていた。現在進行形で面白い話が追加されているが(いま気づいた)、最初のほうの3つを紹介する。

kuma1977 尊敬してます。宮内さんは私や私の部下が追加逮捕されないように、誰よりも考えてくれた恩人です。結局私は逮捕されましたが、宮内さんがいなければ後数名追加逮捕されていました。RT @GoldenLeroy:堀江さんは宮内さんを軽蔑してますが、熊谷さんはどう思ってるんですか?


kuma1977 宮内さんが検察と取引して堀江さん主犯説を供述し、堀江さんをはめたと考えるのは間違い。堀江さんの立場ではそう思うかもしれないけど、実際は、逮捕される仲間を最小限に抑え、事件を早期に終息させ、ライブドアの崩壊をとめようとしただけ。


kuma1977 堀江さんは堀江さんらしく貫き通した。そういう堀江さんが好きだから私は裁判や供述でも最大限堀江さんを応援した。それができたのは、追加逮捕が私で終わりとわかったからなんです


その後のツイートもあわせて見る限り、全員が違法性の認識はなかったようだ。


なるほど。しかし、結局、真実は部外者にはわからないものなんだね。

なぜ堀江さん有罪派のひとは非論理的なのか?

表題について今回のエントリは回答を与えるものではない。むしろ、ぼくがみなさんに問いかけたいテーマである。


一連の堀江さん擁護のエントリに対して、多くのひとから反論をいただいたが、なぜか、罵倒のようなものばかりで、理屈の通ったものが非常に少なかった。堀江さんの件についてはあれだけ注目を集めた事件でありながら、まともな議論をネットでみかけることは非常に少ない。


とりあえず、ぼくの前回のブログ記事へ、堀江さんが有罪だと反論したもので圧倒的に人気の高かった2つ紹介し、それについて再反論をしていきたい。いずれもブックマーク数やツイート数などではダントツで、堀江さん有罪派がどういうひとたちなのかをよくあらわしている。


なぜ「なぜ堀江は有罪になったのか」が分からないか:メカAG


フツーーーーーの人間ならば当然に感じとれる筈の「ライブドア事件は粉飾なのか」に対する疑問点w : 消毒しましょ


まず、最初のメカAG氏のブログから見ていく。


彼のブログはだらだら脈絡なくいろいろなことを書き連ねていて、最後まで読んでも、結局なにをいいたいのかよくわからないのだが、前半部分でいいたいことの中心は、ぼくが堀江さんを擁護したのはポジショントークであるということらしい。(なお、彼は、ぼく=ドワンゴの会長という前提のもとに議論をしている)

堀江がドワンゴニコニコ動画の番組に頻繁に出演するようになってから、ドワンゴの会長が堀江擁護に乗り出すというのは、いかにも「大人の事情」を感じてしまう。こういうのを見るとネットのメディアにも幻滅を感じざるを得ない。


彼はポジショントークという言葉こそつかっていないが、これはネットでよくみるポジショントークという言葉をつかった批判のやりかたそのものである。


だいたいこういう論法をネットでいっているひとは、論理的な思考力に欠けているとみなしてよい。


なぜなら、だれかが言及している事柄に利害関係があることを指摘したからといって、そのひとが間違っていることの証明にはまったくなっていないからだ。


せいぜい間違っている可能性があることを指摘しているに過ぎなくて、実際に間違っていると主張するなら、最低、そのひとが得をするかどうかと、なにが間違っているかについても述べないと議論にならない。この単純な理屈が理解できずに利害関係があることを指摘するだけでオレいいことをいったとか思って悦にいる馬鹿がネットには多い。


メカAG氏の場合はどうだろうか?まずはぼくが前回のエントリで堀江さんを擁護したことでどんなメリットを得られると指摘しているだろうか?

企業の経営者が堀江貴文を擁護するというのは、俺から見ると結構思い切ったことだと思う。


なんと、損だと主張している。その通り。ぼくは前回のブログを書いて別にビジネス面で得をすることはまったくない。じゃあ、おまえがさっきポジショントークだというような批判をしたのはなんだったんだ?


そもそもネットで損得を考えて発言しているひとはそんなにいない。冷静に考えるとネットでの書き込みなんて時間のむだだ。ネットで人間が発言する最大の動機はどうしてもそうせざるをえないと欲する感情だ。


メカAG氏も堀江さん有罪だと非難する記事を書くとなにか得をするわけじゃないだろう?もっと個人的な純粋な理由から書いたはずだ。ネットで目立っている記事をくさすことで優越感にひたり、ちっぽけな自尊心を満足させることが目的だったのではないのか?


ぼくだってそうだ。堀江さんを擁護するのは、前回のエントリでも書いたように、堀江さんへの同情心と、誤解しているひとを減らしたいという気持ちからだ。自分が卑しいからといって他人が損得勘定で発言すると決めつけるべきではない。


さて、メカAG氏はネットでよくみかける自意識だけ肥大した自称論客らしく、そのあとも、自分のことばでは満足に論陣をはれないのか、これを読め、みたいなリンクを紹介したりしてお茶をにごしている。


ぼくのブログへの反論らしきものはまんなかあたりのこれぐらいか?

kawangoのこの堀江擁護の論法は陳腐で駄作だ。彼がこんなに頭が悪いわけないから、彼の頭脳を以てしても堀江擁護は容易なことではないということだろう。結局、堀江がいうように資本でも利益でもどっちでもよかったなら、

  ・なんで無難に資本に計上しなかったのか。
  ・まして複数の投資事業組合を駆使してなんであんなに複雑なことをする必要があったのか。

この2点に尽きると思うのだよね。つまり直接やると違法だけど、間に投資事業組合を介せば違法じゃなくなる(もしくは違法でもバレない)と「思った」ということだ。・・・中略・・・kawangoはこの程度の事で逮捕されては、今後他の経営者も安心して経営できない…と言っているけれど、自社株の売却益を売上に計上するというのは「この程度の事」ではないのだ


ひとの論法を陳腐というわりにはお粗末な内容だが、まあ、堀江さんが有罪だと主張するひとはだいたいこのようなことをいっている。


彼の要点のまとめは下手だと思うので、ぼくが言い換えるとメカAG氏が主張しているのはこういうことだ。


堀江さんは自社株の売却益を利益に計上することは違法なことを自覚しつつ、投資事業組合を複数組み合わせるなどの手法で偽装した。


ようするに堀江さんは違法行為をそれとしりつつばれないようにいろいろ小細工をしておこなったというロジックだ。これについては前提が間違っている。堀江さんは自社株の売買で相場とか張るのはぜったいにダメだというのは知っていただろう。それはどんな経営者でも知っている。だが、自社株の売却益(たとえば金庫株とかの)が発生した場合に、これは利益ではなく資本として計上しないといけないというのは、すくなくともふつー最初はしらない。ちょっと説明をされないと理解できないルールだ。堀江さんは、こうやれば適法だという説明を鵜呑みにしていたに違いない。まして当時は明確なルールがなかった。犯罪だと思っていたらやらなかったと、ぼくは思う。いや、堀江さんは犯罪でも平気でやるひとだよ、と思っているひともいるかもしれないが、そこまでいくと見解の相違だよね。


ただ、自社株の売買で利益を出すという手法がとんでもなく筋が悪いし、まともじゃないというのは同意であり、ぼくも前回のブログでも最初からそういっている。でも、だったら、自社株の実質的な売買そのものを規制すべきで、あげた売買益を資本に計上しなかったからと間違えたことの罪が重くなるという理屈がよくわからない。


万引きして稼いだ収入を経常利益にあげていたら、万引きは定款にはいってないから雑収入として特別利益にいれとくべきだったと、悪質な粉飾として逮捕するのではなく、ふつうに窃盗罪とかでつかまえろよ、と思うわけだ。


次に消毒氏のブログをみてみよう。

あらまあ、うふふ 先日disったので必死になっちゃったみたい かわいいわん
残念ながら、この程度の内容は当の昔に本人の弁を元に論破済みである ご苦労様でした
でもこいつの書いていることは「隙」が多いので、一見、もっともらしい説明の中に自分がどれだけの疑問点を感じ取れるかを試すのには最適である。別に会社法や会計の知識は要らない。頭の体操をする「つもりで」読んで頂きたい 皆さんの好きなロンリテキシコウを強化する上でも参考になると思ふ


頭の悪そうな文章といますぐ決めつけるのはフェアじゃないだろう。彼は結局ブログの最後で明かしたように会社法や会計の知識を駆使してこれから説明したらしい。彼のファンによると、彼にとって会計は得意なホームグラウンドであり、その話になると俄然はりきるらしい。そしてwだらけの文体は彼の芸風であり、その奥にはわかりやすく鋭い論理が隠されているらしい。いいわすれたが、彼のファンの主張を尊重し、上の引用文はwを省いてある。彼のロンリテキシコウを観察してみよう。


と思ったが、長くなったので細かい引用はやめる。各自で読んでほしい。彼がなにをもっともらしく書いているか簡単に解説すると、言葉のあげあしとりをしようとしているだけなのだ。しかもあまりあげあしとりとしても成功していない。ぼくは前回のブログでは話を理解しやすくするために相当ライブドア事件のスキームを単純化して説明した。事件の全体像を把握しやすくするためだ。それを消毒氏はここは矛盾するよねとかいろいろ細かい矛盾点ぽいことを指摘しているのだ。あたりまえだ、実際のスキームをだいぶはしょっていると最初から書いてあるだろ。消毒氏は一生懸命にぼくが書いたことが信用できないんだよというイメージをつけようとしているだけのあげあしとりの努力をしているだけなのだ。なにがロンリテキシコウなのかさっぱりわからない。


まあ、結論として彼はメカAG氏同様に堀江さんは違法行為を意図的にやったといいたいようだ。それについてはメカAG氏のところで書いたとおりだ。


なんで、堀江擁護論を攻撃しようとするひとはこんなにむちゃくちゃ非論理的なひとたちばっかりなのか。別にぼくも前回のブログは堀江さんの説明をもとに書いたと明記してある。一方的な主張をもとにしているのは自覚しているし、そうも書いた。ぼくも真実が知りたいし、なにが本当の争点なのか、もっと議論されてほしいと願う。

ライブドア事件は粉飾なのか?

一昨日、堀江さんが収監された。とにかく本当にひどかった。


なんだ、あのモヒカン頭は。前日も飲んだくれた後の顔のむくれと相まって、どうみたって反省していない犯罪者にしかみえなかった。せっかく一部で評判をとりもどしつつあった堀江さんだったのに、世間の多くはやはりこいつは悪人という認識をあらためて刷り込んだに違いない。


そして隣につねにつきまとっていたひろゆきもつねにへらへら笑っていて、最悪の印象をあたえた。


およそ、人間がなにか行動をおこすとき、必ず動機と目的があるはずだ。ぼくが、先週末にブログを書いたのは堀江さんに同情していたから、彼の誤解を少しでもときたかったからだ。


昨日の彼らはいったいなんのためになにをしたかったのか?堀江さんはライブドアと同じく粉飾事件をおこしながら実刑判決をうけていない会社名がプリントしたTシャツを着ていたが、世間にアピールしたかったのであれば、むしろ逆効果だった。ひろゆきにいたっては堀江さんの隣にいることで堀江さんのイメージをさげただけでなく、自分の評判もいっしょに下げた。


いったい、彼らは、なにがしたかったのか?


まあ、いい。堀江さんは最後まで悪役をつらぬきとおしたロックな男と解釈することにしよう。


さて、前回、前々回のエントリで堀江さんのことについて書いたが、いろいろコメントを見る限り、やっぱり、堀江さんが粉飾をしたことは事実という思い込んでいるひとが多いようだ。実際は本当に明らかな粉飾であるとはとてもいいがたいとぼくは思っている。


ぼくは会計の専門家ではないが、逆に素人として理解している範囲内でライブドア事件で粉飾と呼ばれていることがなんなのか、なぜ堀江さんが無罪を主張しているかを、堀江さんから直接聞いた説明をもとにして書きたいと思う。もちろん堀江さんから見た一方的なものになっている部分がある可能性はお断りしておく。


すごく簡単になにがおこったのか、いろいろはっしょたり、時系列とか無視して説明する。


ライブドアは企業を買収するときに現金がなかったので自社株と交換しようとしたんだけど、相手から現金じゃないといやだといわれたので、現金をつくるためにいったん投資組合に株をわたして、そこがライブドアの株を売って、現金を相手の企業にわたすというやりかたをしていた。

ライブドアは上場企業だから、相手の企業も別に現金じゃなく、ライブドアの株をもらって自分で売却してもいいような気もするが、取引のあと、売却できるまでタイムラグがあるので、その間にライブドア株なんていつ暴落するかわかりゃしないとぼくだって思うから、そりゃ現金で、もらったほうが安心だ。

ところが実際には取引後もライブドアの株価はあがりつづけたので、実際には取引した金額よりもライブドアの株は高くうれてしまった。で、これは投資組合が儲けたことになるのだが、それはライブドアが出資している投資組合なので、ライブドアの投資収益になる。

これをライブドアはふつうに利益として計上した。ところが、これは正しくなく、資本金に組み入れなければならないと検察は主張し、粉飾だ!ということになり、堀江さんは逮捕され実刑判決を受けることになったのだ。これが、おおまかなストーリーだ。


さて、この話がいったいなにをいっているのか、みなさんは理解できただろうか?かなりわかりやすく説明したつもりだ。(ちなみに実際には投資組合に出資したのはライブドア本体ではなく子会社のライブドアファイナンスで、投資組合も売却まで2段に積まれているので、さらに現実のスキームはややこしい)


まず、上記の事件に対する、ぼくが聞いた堀江さんの主張のポイントを書いてみる。


(1) このスキームで利益がでたのはたまたまである。損をする可能性もあった。
(2) そもそも利益を資本金に計上すべきかどうかの判断が難しい。
(3) 堀江さん自身はこの利益を資本金に計上しないことが違法という認識はなかった。
(4) 仮に有罪だとしても金額に比較して、執行猶予もつかない実刑判決は重すぎる。


順番に説明する。堀江さんが主張は、上のスキームのポイントはようするに基本は株式交換したあとライブドア株を売却するまでの価格変動リスクを相手が持つのか、ライブドアが持つのかの問題にすぎない。たまたま、株価があがったから、利益がでただけで、株価がさがっていたら、損をする可能性もあった。そもそも利益をあげたことが悪いわけじゃないということだ。

 これは実際にそのとおりにみえる。すくなくとも報道されたように投資家の集めた金をそのまま利益に計上する錬金術、といった報道とはだいぶイメージが違う。ねずみ講とかとはちがう。損をするか特をするかは相場次第で、この場合は得をした。


そして、このスキームであがった利益を資本金に組み入れるべきかどうかということは、当時、専門家でも判断がわかれていたということだ。ライブドアの株式を売却したのが子会社であれば当時でも資本金に組み入れるというのが正しい処理だったらしい、ただし、この場合は売却したのは外部の投資組合だ。だったら利益で処理するという考え方もあるというか、むしろそっちが自然だろ。
実際問題として投資組合の場合にどうするかは当時は明確な基準ができるぎりぎりのタイミングであり、堀江さんのはなしによると明確にダメだと決まったのはライブドア事件のあとらしく、そうなったのもライブドア事件の影響だろうということだ。ただ、実際は事件の半年ぐらいまでに金融庁の通達かなんかで、この場合でも資本金にしろみたいなのはでていたらしいんだが、ライブドア側はしらなかった。まあ、しらなかったほうが悪いといわれたら、そのとおりだが、知っていたら利益に計上するなんてことはやらなかったんだから、知らなかったのは事実だ。それでいきなり逮捕はひどすぎるし、もっとひどい他社のケースでは金額も大きいのに逮捕もされてないで罰金のみなんだから、刑罰が重すぎるという主張だ。

 これもそのとおりだろう、こういう解釈の違いというのは税金でもなんでも常におこりえて、その都度、どっちが正しいか、判断されるわけだが、間違っていたら、いきなり実刑というのはビジネスなんてやってられない。ライブドア事件での量刑はあきらかに恣意的に重すぎる。こんなの罰金ですむはずだとぼくも思う。このあたりは堀江さん本人の主張も含めて、すでにいろんなひとも指摘しているので詳細は省く。


ここからは完全にぼくの個人的な意見を書く。まず、ぼくが上記の説明を聞いたときに最初に堀江さんにした質問だ。


この会計処理は監査法人はオッケーしているんですよね?


まあ、あたりまえの疑問だ。当然、ライブドアも上場企業なんだから、監査法人に隠れてこういう処理をしていたんだったらともかく、監査法人にチェックはしてもらっているはずだ。そして監査法人は専門家だ。専門家がオッケーしたものをやって逮捕されるのはあまりにもおかしすぎる。


堀江さんの回答は意外だった。なんと監査法人の担当も逮捕されているのだ。共謀とみなされたということらしい。ぼくはびっくりした。こういう微妙な会計処理をただしく判断できる社長なんていないし、CFOだって、独断では怖くてできない。だから、外部の専門家に確認しながらやるわけだが、その専門家が判断を間違えたらどうなるのか。まあ、その場合でも最終的な責任はその専門家を選んだ企業がとるのはやむをえないとして、すくなくと判断を間違えたのは専門家であって、意図的にやったんじゃないんだよ、ぐらいは担保されないと割にあわなすぎる。交通整理している警官に進入禁止の進路を指示されて、そのとおりにクルマを動かしたら、その警官と共謀して意図的に交通違反をしたといわれて一緒に逮捕されたような話だ。


これじゃあ、今後、上場企業の経営者は、どんなに微妙な会計処理でも判断を間違えたら、専門家に頼んでチェックをしたとしても、一緒に共謀したといわれたら、逮捕されてしまうということだ。


じゃあ、これからは微妙な案件はすべて利益がでないほうで処理したほうが安全か、というとそうでもない。税金の問題があるからだ。脱税で同じような理屈で逮捕される可能性がある。


上記の事件でも堀江さんが主張しているまた別のこととして、利益で計上したほうが税金を払わなければいけないから不利だというものがある。資本金で計上するのであれば増資と一緒だから、税金はかからない。なんか、税務と会計で別の処理を要求される可能性の予感もちらっと頭をかすめるが、まあ、堀江さんがいったとおり、上のケースは逆に資本金で計上しても税金逃れとして逮捕される流れも考えうる。堀江さんの場合、なにがなんでも逮捕したいという意図が明確に見えるので、そのような場合はどっちでも逮捕できたんじゃないかという気さえする。ふつうはむしろ所得隠しの脱税で逮捕される経営者のほうが全然に多い。


以上のような状況を考えるとやはり堀江さんの主張するとおり、ライブドア事件は形式的にはあくまでも会計処理の認識違いあるいは間違いであって、粉飾事件であるとはとてもいいがたいというのがぼくの結論だ。


ただし、形式的には粉飾でなくても、決算数字をよくしようという意図はあったと、ぼくは思っている。このスキームでの価格変動リスクについてもたぶん株価はあがって儲かるだろうという読みはあったんじゃないかと思う。うまくいけば決算の数字で利益に計上できるというスケベ心はすくなくともCFOの宮内さんにはあったはずだ。堀江さんについてもあった可能性は高いと思う。


でも、程度の差こそあれ、そういう努力を経営者がやるのはあたりまえだ。むしろルールの範囲内であれば努力する義務すらある。どういう手段で努力するかについては、これは経営者のモラルだったりポリシーだったり美意識の問題だと思う。で、このような手段で利益をあげようとするライブドアの手法は眉をひそめられてしかるべきだったし、批判するひとがあらわれても当然だ。だが、いきなり一足飛びに、逮捕されるべき、というふうにはならないだろう、と思う。どう考えてもいきすぎだ。


ぼくは利益を本業で稼いでいない企業に高い企業価値をつけるマーケットにも問題があったんじゃないかと思う。そういう意味でライブドア事件ライブドア株に投資したひとは、被害者だとはあまり思わない。むしろリスクを共有すべきだろと思う。


そしてもうひとつ思うのが、よくいわれる脱法行為とか法律の抜け穴を利用してという表現での批判だが、会計基準についてはやはり形式的なルールに沿って判断すべきで、法の抜け道をふせぐ責任は国側にあるのではないかと思う。なぜなら、国自身が会計基準の根本の精神について踏み外した行為をしているからだ。


1年ぐらい前だったと思うが、母親に東京三菱銀行の債券を買わないかと証券会社からセールスを受けていると相談があった。ぼくが話をきいてみたんだが、これがひどかった。普通の債券よりも利率がいいのだという。なぜ利率がいいのかというと、銀行はこの債券を自己資本に組み入れていいからだという。自己資本比率を高くできるという銀行側のメリットがあるという。なるほど、株式どころか、普通の債券よりも資本調達コストの高い債券を自己資本とみなしてもいいルールというのを金融危機をきっかけに国はつくったらしい。


会計基準のポリシーなんてこの程度で変わるものだ。あくまで形式的なルールで罰則は判断適用すべきで、ルールが整備されていないところでの、みだりな拡大解釈に、まして刑事罰までもちこむのはフェアではないというのがぼくの意見だ。

ぼくが堀江さんを応援する理由(後編)

堀江さんは性格が悪いどころか、むしろ尊敬できる人間じゃないかと思い始めたのは彼が逮捕されてあとの話だ。拘置所からもどってきた堀江さんが痩せてスリムになっていたのはともかくとして、人に接する態度がすっかり謙虚になっていたのには驚いた。ほりえもんは逮捕されて人格者になったとその頃、ぼくはまわりに触れ回っていたのを覚えている。やっぱり逮捕されて反省したのだろうと最初は思っていた。
(実際には、堀江さんは、まったく反省していなかった。少なくともぼくが思っていたような意味では。彼は無罪を主張していて、その後、「徹底抗戦」を出版した。)


どうも堀江さんは逮捕の以前から自分が認めた相手にはとても謙虚だったらしい。ようするにぼくに対しては・・・まあ、そういうことだ。逮捕後、まわりに残っている人間に対して一様に謙虚になったということなんじゃないかと思う。


逮捕後も相手によっては以前同様の傲岸不遜な態度を示しているのはtwitterをみても明らかだ。堀江さんは性格が悪いというよりは、たんに人付き合いがとても下手くそなんじゃないかとぼくは思い始めた。そういえば企業直後の長髪の堀江さんを記事とかをみてみたら、たんなるコンピュータオタクにしかみえない。


釈放後にフジテレビの買収事件のことを堀江さんに聞いたときに、彼が人付き合いについてめちゃくちゃピュアな人間であるということを確信した。彼は「フジテレビの現場は、ライブドアに買収されることに賛成だった」と断言していたのだ。そんな話は聞いたことがなかったが、堀江さんはそのときの状況をこう話してくれた。「買収騒動の起こる前、フジテレビの番組にも、たくさん出ていたんだけど、ぼくはめちゃくちゃ現場のスタッフに人気があったんですよ。番組のプロデューサーとかにも、堀江さんは数字とれるし、いっそフジテレビを買収しちゃってください。」とかいわれていたんだという。だから、フジテレビの買収を宣言したら、社内から賛成の声があがると思っていたんだ、と。・・・どう聞いてもそんなのは調子のいいテレビマンのお追従でしかなかったと思うが、堀江さんはそれを信じてフジテレビ買収に突き進んだらしい。アホすぎる。


だとすると、日本を騒がしたホリエモンという現象は、世間知らずの引きこもり天才プログラマがたまたま大成功してそのままいろいろ間違えたまま暴走してしまったのが真相ということになる。


堀江さんが見た目、性格悪いのはコミュニケーションが下手なだけだからという結論とともに、ぼくが気づいたことがもうひとつある。彼は決して冷血な合理主義者ではなく血の通った熱血漢であるということだ。堀江さんは普段、みもふたもない発言をよくする。そのあたりはひろゆきと似ている。あ、ちなみに最初、堀江さんを紹介してくれたのもひろゆきだった。徹頭徹尾に合理的なことしかいわないから、唖然とさせられることがよくある。だから、堀江さんが検察と徹底抗戦すると聞いたときに驚いた。


日本では逮捕されたらやっていなくても罪を認めたほうが得だ。有名なのは痴漢で捕まったときだ。自分じゃないといえばいうほど反省していないとみなされて罪は重くなり、拘置所に閉じ込められて家に帰れない。自分がやりましたととりあえず”自白”しておけばすぐに帰してもらえる。堀江さんが初犯で粉飾の容疑をかけられている金額も小さいのに執行猶予がつかなかったのは無罪を主張したからだ。日本では逮捕された人間は裁判で争う権利が憲法で認められているが、有罪を認めて刑罰の重さを争うことはできても、無罪を主張したら刑罰は重くなるというペナルティがある。合理的に考えると堀江さんが無罪を主張したのは間違いだ。あれほど社会的に大きく騒がれた事件で無罪判決がでたら司法の威信に関わる。まず有罪になると考えるのが自然だ。合理的な判断ではない、怒りで血迷ったかと思った。


そのあたりの堀江さんの文章でなにか記憶に残るものがあった。どこで読んだのかは忘れてしまったが、メルマガなのか、ツイッターなのか、ブログなのか、それは日本の検察制度はおかしいということ、損になるとわかっていてもそれを世の中に訴えて戦うのが自分の歴史的な使命だと思っているというような内容だった。損得ではなく正義感からくる怒りを行動原理にしているんだなと思った。そして、覚悟しているんだなと思った。本当は理想に燃える熱い人間なんだと思った。そのときにはじめて堀江さんを応援しようと思った。


そういえば堀江さんとの逮捕前の食事中に宇宙ビジネスの話を聞いたことを思い出す。ライブドア時代から堀江さんが宇宙ビジネスを次はやるといっていたのは有名だ。あぶく銭を儲けているように見える人間が、本当にやりたいのは宇宙ビジネスです、といっているのを聞いたときに人間はどう思うか。なんか、少年らしい夢を語ってイメージアップをはかっているんだろ。それにしては稚拙すぎだろ、ぼくもそう思ってた。実際に堀江さんから直接聞いた宇宙ビジネスの話はガチだった。本気でやろうとしていたし、それなりの成算はきちんと感じられた。堀江さんはもともと情熱的なひとなのだ。ただ、元来がコミュニケーション障害のオタク野郎だから、それを周りに表現するのが下手なだけなのだ。


そもそも堀江さんはなぜ逮捕されたのだろうか。ライブドアへの強制捜査の報道があったとき、ぼくはやっぱりなと思った。いまにして思えば根拠なんか、とくになかったが、なんか悪いことをやっているに違いないという雰囲気はあった。なぜか。


たんに目立つ人間に対するやっかみ以上に、堀江さんの存在を問題だと思わせた大きな要因は株の時価総額をあげて会社を買収するという手法だろう。日本を代表する大企業のひとつであるフジテレビを買収しようとしたのだ。タブーにふれたどうのこうのいう説もあるが、そんなこと以前に、冷静に考えて、ライブドアというポータルサイトとフジテレビの価値が釣り合うわけがない。それが、時価総額だか、MSCBだがしらないが、よくわからない理屈で歴史ある大企業が簡単に買収されそうになってしまったのは、どう考えても公平ではない。こういうのが許されるのであれば、株価をあげるテクニックがうまいだけの経営者が日本経済をいずれのっとってしまうことが可能だろうし、別に日本の経営者じゃなくても外資が日本経済をのっとることも同様に可能だということだ。だから、日本という社会が、もしくは国家権力が堀江さんを叩きつぶすという判断をするのはすごくまっとうで自然なことだと、ぼくはいまでも思う。歴史なんてそういうものじゃないか。


あ、脇道にそれるが、前編で書いた着ボイスのエピソードのあとに堀江さんには携帯アプリでのマルチメディア放送番組に出演してもらったことがある。そこで視聴者からの電話かなんかの質問で、なぜ、ライブドアはぼくの会社を買収しないのかというのがたまたま出た。そのときに堀江さんは、D社の株価は高すぎるんですよ、と回答していた。高すぎるのはおまえの会社だろ、とぼくは心の中で思ったのを覚えている。当時、インターネット企業は収益力はほどんどないが時価総額は高く、逆に携帯コンテンツの会社は収益力は高いのに時価総額は低いという傾向があった。着メロで儲かっていたぼくの会社はすくなくとも当時のライブドアよりは球団を買収する資金もあれば、はるかにキャッシュフローも生み出していた。


・・・今回は堀江さんについて思っていることをだいたい全部書くことにする。ついでに根に持っていることも全部書く。


まあ、ようするに本業のビジネスでたいして成功しているとも思えない人間が、うまく株価と時価総額をあげて、自分たちの会社が買収されるような世の中なんていやだと思っていた人間が当時たくさんいたということだ。そういう空気の中で堀江さんは東京地検特捜部に逮捕されたのだ。マスコミ+検察=悪で堀江さんは被害者という単純な図式ではない。別にマスメディアの報道も関係無いところでも、社会のかなりの部分が堀江さんを逮捕する流れをつくった共犯者だったのだ。


そして、時価総額を高くして他社を買収するのを国が方針として規制するとしたら、堀江さんの逮捕というのが、その目的を十分に果たしたというのは認めざるをえない。本来、そんなのは金融庁経産省が考えればいいことで、なんで検察がでてくるのかはわからないし、そもそも堀江さんが逮捕されるべき悪いことをなにもしていないとは思うけど、まあ、ネットバブルがはじけて六本木ヒルズの連中は一斉におとなしくなったことは間違いない。しかし、それが本当に日本のためによかったのかは次第に疑問がわいてきたところだ。実際、堀江さんがあのまま暴れていたほうが、日本にとっていい刺激になってもっと経済は活性化してただろうといまは思う。


ここまで読んでくればわかると思うが、ぼくは堀江さんが犯罪をおかしたとはまったく思っていない。完全なえん罪事件だと思っている。時価総額をあげるためのテクニックなんてこれまでもいっぱいあった。連結決算が一般的でなかったころは不採算部門は子会社にして本体は黒字にするとかいうのは一般的におこなわれていたし、最近は規制も強くなりメリットもなくなってきたが、子会社の上場なんていうのもどこでもやっていた手法だ。法律の範囲内で決算書などの数字をよく見せようとするのは別に粉飾でもなんでもない。自社株を持っている会社を買収することにより、結果的に自社株取引で儲かったような形で利益が計上されるというのはトリッキーであり、利益出すための手法としては、まともな会社なら手を出さない大変に行儀のよくないやりかただと思うが、別に意図的でもなくそういうケースは起こりうるわけで、リーガルチェックもして監査法人も承認している以上、現行の法律上ではうまくやったなとしか、ふつうだったらいいようがない。しかし、そういう場合には利益として計上せずに資本を増加させなければならないという指導が監督官庁から半年前にでていたらしい。そして、それをライブドア側も監査法人もしらなかったというのを咎められたのだ。まあ、咎めるのはいいけど、それでいきなり有罪だ、逮捕だ、監査法人もいっしょに共犯で逮捕だなんていうのはどうみても行き過ぎだ。別に架空売り上げとかをたてた訳じゃなく、基本的には解釈の問題なのだ。


人間は国家権力がちょっと間違ったことをするとすぐにそのことを指摘して文句をいうが、あまりにも間違っていることを意図的にしている場合はだまりこむ。自分に被害が及ぶんじゃないかと怖くなるからだ。わかっているひとは堀江さんの有罪判決についてどうみてもおかしいとみんないうが、公の場ではなかなか口にしようとしない。逆に、もし公の場で堀江さんの有罪当然だという会計士や経営者がいたら、彼らの知識なり能力は疑っていいだろう。


最後に人間としての堀江さんの最終的なぼくの評価を書く。彼はぼくが知るかぎりの人間の中でも最高ランクに属する人格者だと、いまは思っている。不器用なだけで彼ほど正直に生きようとしている人間はいない。だいたいイメージ戦略を考えたら、アダルトビデオの仕事なんかやっちゃだめだろ。だれが薦めたのかしらないが、友達はもっと選んだほうがいい。クリスマスキャロルで強欲のスクルージ爺さんでも演じて人生を反省するのがお似合いなのだ。だが、アダルトビデオの仕事までやってしまう、そういう飾らない堀江さんの人間性はひとは惹きつけられるのかもしれないとも思う。


1ヶ月ほど前に会ったとき、堀江さんは毎日壮行会ですよ、とぼやいていた。下手すると1日2回出席しないといけないらしい。これから刑務所にはいるというカタギの人間でこれほど惜しまれ愛される人間がいるだろうか。釈放されてから今日にいたるまで堀江さんは会う人会う人、着実にファンを増やしていった。魅力のある人物なのだ。堀江さんのことをいまだに悪く思っている人はこの事実を認識してほしい。いろんなことをいうひとがいる。だが、みんな堀江さんと会うとファンになる、そういう人間力をもっているのだ。


何年も前、あるネットの放送に堀江さんが出演したことがあった。まだ、釈放されたばかりでネットの空気も堀江さんには冷たかった。それが生放送で堀江さんの話をきいていくと、見る見るうちにコメントの空気が変わっていくのがわかるのだ。生放送というのはそういう力がある。そういう力を発揮させられる人がいる。放送の中でちょっと衝撃的なシーンがあった。沖縄でなくなったライブドアの野口さんの件だ。何人かの視聴者が、執拗に野口さんが死んだのは堀江さんのせいじゃないか、口封じじゃないか、というコメントを繰り返していたのだ。堀江さんは本当に悔しそうに涙ぐみながら答えたのだ。


”野口の死で困っているのはぼくなんです。ぼくの無実を証言できる唯一の人間が野口だったんですよ。”


ネットの向こうの視聴者が凍り付いたのが伝わってきた。堀江さんを発言するたびに批判しつづけてきたコメントまでが黙り込んだ。一呼吸をおいて、こえええ、とか、なんか怖い、とかいうコメントがつぎつぎと流れてきた。あのときに番組の流れが完全に変わったのだ。


…………


ぼくのまわりでも堀江さんの壮行会をやろうよというひとは多かったが、たぶん迷惑だなと思って、言い出すのはやめた。堀江さんにはすでに十分な仲間がいるし、最初に書いたように、ぼくはそれほど親しくはない。せめてもと思いブログに記事を書くことにした。まだ堀江さんを悪く思っているひとたちへの参考になれば幸いだ。


いってらっしゃい。そして無事にもどってくることを祈っています。

ぼくが堀江さんを応援する理由(前編)

ぼくは堀江氏とは実はそれほど親しくない。食事の回数でいえば三回ほどだ。まあ、しかし、ぼくの場合は人見知りなのでたとえば名の通ったITベンチャーの経営者でも名刺交換ですら10人もしていない。だから、三回も会食した堀江氏はぼくから見ると、相当に付き合っているほうだ。


最初に堀江さんに会ったのは着ボイスの収録現場だった。堀江さんにいろいろ台詞を喋ってもらって携帯用の着信音にしようという企画だ。当時、近鉄の買収をぶちあげたりした堀江さんはまさに時代の寵児にまつりあげられていた。


こちらが用意した台詞のリストには、「女は金で買える」とか、「必殺、100分割」とか「ぼくホリエモン」とかの言葉が並んでいた。


現場で問題がおこった。ディレクターがこんなリストを堀江さんに見せて喋ってくださいなんて、とても言えないと泣きついてきたのだ。


まあ、言いにくいよね、とは内心おもいつつ、僕はディレクターを叱りつけた。着ボイスの企画で一番大事なのはこの喋ってもらう台詞のリストをつくることだ。おもしろ半分にアイデアを出しても実際に企画を成立させるためには事務所だったり本人に納得してもらう必要がある。これが意外に大変なので多くの着メロサイトの着ボイスコーナーは「電話だよ」とかいうどうでもいい個性のない同じ台詞をいろんなひとにいわせているのばかりだった。


ぼくらは当時ひとりについて一週間ぐらいかけて相手の過去の作品などを調べて、ファンがいってほしい言葉、本人がこだわっている言葉を探し出し、これなら喋ってもらえそうだという台詞を並べたリストをつくることにしていた。だから、僕らのサイトの着ボイスは非常に評判がよかったし、アーティスト本人ももういちどやりたいといってくれることが多かった。


堀江さん用の着ボイスのリストを本人に説明できないということは、ようするに堀江さんの考えをきちんとシミュレーションせずに自分が野次馬的に面白いと思う台詞を並べたということだ。だから、本人を目の前にすると慌てて言葉に詰まる。


台詞のリストを読み始めた堀江さんの表情は、案の定、急激に険しくなっていた。明らかに怒っている。


ディレクターはパニックになっていて、ぼくが代わりに堀江さんに説明することになった。ぼくは平然とこのリストは堀江さんの著書にある言葉や、過去の有名な行動にちなんだものです、といった。


いくつかのやりとりのあと、堀江さんはいった。「ほとんどはマスコミが勝手に報道しているだけでぼくはこんなことはいっていないんですよ」いくつかは堀江さんの本の中にあった言葉ですが、と指摘すると。「そういう意味でいったんじゃないんです」と重ねて否定した。


結局、かなりの台詞にNGが出されたのだが、「ぼくホリエモン」は喋ってくれた。サービスしてくれたのだろう。意外といいひとだ、と思った。


当時、ぼくの堀江さんへの先入観は相当に悪かった。技術力もないくせにITをネタにマネーゲームをしている連中というのがビットバレーからヒルズ族につながるIT業界主流派のひとたちへの印象であり、堀江さんはその代表格に見えた。


その頃、IT業界やマスコミ業界のひとで堀江さんと親友だというひとに出くわすことも多かった。彼らの特徴は堀江さんのことを「堀江くん」とくんづけで呼ぶことだ。そうして堀江さんとの仲良さをアピールすることが一種のステイタスになっているようにみえた。そういうときは堀江さんに少し同情した。


実際の堀江さんは、世間で思われているイメージや、ぼくが思っていたのと違うかもしれない。着ボイスの収録のあと、ぼくは堀江さんに会食を申し込んだ。


実際に1対1で話してみると、あたりまえだが堀江さんへの印象はだいぶ変わった。


いったん悪く思っていた人間をあらためて評価するというのは、まあ、一種の敗北なので、そういうときは、なぜそのひとを評価することにしたのかを他人に説明できるように自分の中できちんと整理するくせがある。なので、そのときになにを考えたかはいまでも覚えている。ぼくは以下の理由で堀江さんを評価することにした。


・ 話してみて、たしかに頭の回転がとても早いひとである。
・ 明らかに技術に詳しく、過去にかなりの量のプログラムコードも書いていた。
・ 持っている情報が質と量と共に、ぼくよりも上だった。


ぼくは日本のITベンチャーの経営者とは技術はまったくわかってなくて、たんに米国で流行っているサービスのパクリをつくるためにエンジニアを雇い、それをネタにしてお金を集めるのが得意なひとたちというイメージだったので、堀江さんが技術も全然わかっているし、エンジニアである自負も持っていることにびっくりした。そう考えるとスーツを着てないことにも好感を覚えた。ぼくは日本のベンチャー経営者がシリコンバレーと違ってスーツを着ているひとばっかりであることを、実態を持たない偽物だから外見に頼ってしまうんだと思っていたからだ。


そして衝撃を受けたのが、堀江さんに集まっている情報の多さだった。これが世の中を動かす人間になるということかと思った。これだけレベルの違う情報を持っていたら、くだす判断のレベルも当然に違ってくるだろう。


というわけで、ぼくは堀江さんへの見方を改めて、一目おくことにした。ただし、この段階では、性格は悪そうだなと思っていたことを付け加えておく。


(つづく)

笑わない日本人

昨日の昼間、みんなで古い時代の写真をみていた。昔は写真というものはそんなに軽々しくとるものではなく写真館で撮ったと思われる白黒写真は額縁にいれられており、学生らしき4人は真剣な表情だった。


その場にいた、ある老芸術家が「昔の日本人のほうが顔がよかった。いい顔をしている」と言い出した。「これは軍服だ」と指摘した。
死を意識して生きているほうが人間はいい顔になるのだと。


夜になってまたメンバーがいれかわり同じ写真をみていたのだが、その写真の持ち主がまた言い出した。「日本人はこの時代は写真を撮られても笑顔になったりしなかった。」テレビのニュースキャスターもへらへらした笑みを浮かべて話すのは日本ぐらいだという。外国のニュースキャスターは真面目な顔で話す。真剣なんだ、と。


「写真とられるときに笑顔になるのも戦後なんだよねー。」というような会話があって必然的に、いったいいつから真剣な顔した日本人はへらへら笑うようになったのかという疑問が呈された。


まあ、でも戦争中とかの写真をみて戦後変わったという話の流れから、最初に思い浮かぶ答えは自明であり、みんなその結論が気に入らなかったのかだれも喋らなかった。


思わずぼくが「やっぱりアメリカに占領されたときに変わったんですかね?」といってしまった。


「情けなさすぎる」問題提起したひとが吐き捨てるようにいってその話題はそこで終わった。


そんだけの話。

クラウド型コンテンツとはなにか?(完全版)

※3/9に後半大幅に加筆修正しました。

以前のエントリでコンテンツはクラウド型へ移行するべきだと書いた。その際に、クラウド側のコンテンツはユーザに所有感を与えられるとも付け加えたが、どうしてなのかは十分な説明をしなかった。


ブックマークについたコメントをみていても、そのあたりの解釈にいろいろ個人差があるようで、あらためて、僕が考えるクラウド型のコンテンツサービスのモデルについて説明をしたい。


まず、最初に誤解されていると思ういくつかの点について、僕の考えを述べさせて欲しい。


・ クラウド型のコンテンツサービスは別に全部ストリームでやれといっているわけではない。
・ ユーザに不便を強いるだけのDRMが無意味といっているだけで、DRM自体を否定しているわけではない。クラウド型のコンテンツサービスはむしろDRMと組み合わせたほうが相性がいい。


以下にまとめて説明する。


クラウド型のコンテンツサービスというとローカルにデータを持たずに、すべてストリームでやればコピーされなくていいよね、みたいなかんじに理解するひとが多い。しかし、これは将来的なゴールのひとつである可能性はあるが、現在あるパッケージコンテンツのクラウド化には向かない。なぜなら、現状のパッケージコンテンツを再生するデバイスがローカルデータを利用することが前提のものが多数を占める状況では、ストリーム前提のサービスをつくると、利用できる状況やデバイスが制限されてしまい、いまより不便な形でしかコンテンツを利用できないものになってしまうからだ。


現実的なのは一度購入すれば何回でもどのデバイスにダウンロードできるようなサービスだろう。前回のエントリとは違いダウンロードするデータにはDRMがかかっていてもかまわない。なぜならDRMがかかっていても、何回でもどのデバイスにもダウンロードできるなら同じだからだ。DRMがかかっていなくても、それをデバイス間でいちいちディレクトリなどを確認したりツールつかったりしてコピーするのは面倒くさい。それよりも、DRMがかかっていてもダウンロードしなおすほうが簡単であれば、ユーザはそちらを選ぶ。また、あとで説明するようにクラウド型コンテンツの所有感をユーザに味わってもらうためにはローカルでコピーできることよりもサーバからダウンロードさせたほうがいい。


さて、この説明で納得できないひともいるだろう。今回のエントリは、クラウド型コンテンツとはそもそもなんなのか、なぜ、クラウド型だとコンテンツの所有感をユーザに与えることが可能なのか?その上でパッケージ型コンテンツをクラウド型に変更するにはどのようにすればいいかを順番に議論していきたい。


クラウド型のコンテンツはユーザに所有感を与えることが可能だと前回のエントリで書いた。


クラウド型のコンテンツというのはつまりコンテンツがユーザの手元ではなく、どっかのサーバに保存されているということだ。直感的にサーバにおいてあるものを、自分が所有していると感じさせることができるのだろうかと疑問に思う人もいるかもしれない。なので、まず、最初に既にクラウド型のコンテンツでユーザに所有感を与えてることに成功しているものを例示しよう。既にクラウド型のコンテンツは存在しているのだ。


まず、最初の例としてあげたいのは、ちょっとコンテンツとしては極端にシンプルすぎる例であるが、銀行預金だ。みなさんの通帳に記入してある数字、もしくはキャッシュカードで残高照会すると表示される数字。これは銀行のサーバに記録されているたんなる数字だ。にもかかわらず、ほとんどのひとはその数字、預金残高の金額をリアルなものだと感じている。通帳の数字を増やすことに生き甲斐をかんじているひとも多い。銀行預金の数字をみんなが自分の所有しているものだとなぜ感じられるかはとてもいいテーマであって、クラウド型コンテンツの所有感をどうやって設計すればいいかの重要なヒントを与えてくれる。これについてはあとで議論する。


つぎの例はもうちょっとコンテンツぽいものだ。仮想空間上のアイテムだ。アバターの服や大規模ネットワークRPGのアイテムなどだ。仮想空間上で自分の操作するキャラクターが着る服やモンスターと戦うための武器などにユーザはお金を払う。それもかなりのお金を払うというのは古くは10年以上前のウルティマオンラインにはじまり単独のゲームとしてはおそらくゲーム業界史上最大のコンテンツとなっているWOW(ワールドオフウォークラフト:日本ではあまり流行っていないが世界最大ぶっちぎりのMMORPG)が証明しており、日本でもグリーやDeNAソーシャルゲームの大成功は現在進行形の出来事だ。仮想空間というとセカンドライフの失敗が記憶に新しいが、あれはセカンドライフが失敗したのであって仮想空間上のビジネスというのはゲームの世界ではここんところ最大の成長分野となっているのだ。


もう5年以上前になるがワールドオブウォークラフトに関して聞いた面白い話を紹介すると、中国にはワールドウォークラフト専用の工場があるそうだ。その工場にはちょっと型遅れの古いPCが大量に並んでおり、工場周辺の住民の中でもちょっと能力の高そうな若者が集められPCの前に1日中座っているのだという。そして、ひたすらワールドウォークラフトをプレイして、モンスターを倒してゴールドを集めているそうだ。それを先進国のプレイヤーが買うことでこの工場は成り立っている。もともとこれは韓国ではじまったビジネスらしいが、中国でも同じビジネスがはじまると、韓国は中国の安い労働力の前に競争に負けたらしい。そしてこの仕事は工場周辺の若者では知的な職業として憧れの的だったという。


いまもそういった工場やビジネスが成立しているかは分からないが、ぼくが話をきいた当時は、ワールドウォークラフトという仮想空間で売買されるアイテムやゴールドの市場はGNPに換算すると世界70位だか80位の国家に相当するといわれていた。仮想空間上のアイテムをプレイヤーが自分の財産として欲しがり、それがビジネスになるということが理解されはじめると、やがてMMO RPGでは基本無料でサービスを提供し、ゲーム内でプレイヤーが欲しがる特別なアイテムを有料で販売するというビジネスモデルが生まれた。その手法はFacebookAPI開放をきっかけにSNSと組み合わせたソーシャルゲームに引き継がれ、世界的な大ブームとなったのはご存じの通りだ。


クラウド型のコンテンツというのが既に存在して、コンテンツがコピーされてビジネスが成り立たないといわれるインターネット時代においても成長を続けている、いや、むしろインターネット時代だからこそ成立する有望なモデルであることは理解いただけたと思う。


長い前置きになったが、ここからが今回のテーマの本命だ。クラウド型コンテンツがコンテンツビジネスにとって有望なモデルであることがわかったとする。じゃあ、現在、危機にあるCD、書籍、DVDなどのパッケージコンテンツをクラウド型コンテンツに移行させることは果たして可能なのか、可能であるとしたらどうやって移行させるかである。


コピーがあたりまえのインターネット時代においてクラウド型コンテンツが有望なモデルなのは、クラウド型コンテンツが本質的にコピーできないからである。サーバーに格納されているデータを書き換えることはもはやコピーではなくハッキングの世界だ。実質的に不可能であるといっていい。じゃあ、パッケージ型コンテンツもデータをサーバに置いたらいいかというと問題はそんなには簡単ではない。


なぜかというと、クラウド型コンテンツでコピーが不可能なデータはサーバにおいてあり、なおかつサーバ側のプログラムで解釈し実行するデータに限られるからだ。パッケージ型コンテンツの場合は音楽データにせよ、動画データにせよ、いったんクライアントの端末にデータをダウンロードし、実行する必要がある。そしてダウンロードされるデータは原理的にコピーを防ぐことができないのだ。クライアント端末でダウンロードできるデータについてはクラウド型コンテンツでもコピーは防げない。例をあげると、銀行預金を勝手にコピーして2倍にすることはできないけど、残高を印刷した通帳はコピー機をつかえばコピー用紙に印刷できる。アバターの服や武器にしてもサーバのデータはいじれなくても、端末画面に表示された画像であればスクリーンショットとして保存可能だ。クラウド型コンテンツがコピーできないというのは言い換えると、サーバに保存されているデータの書き換えはできないということにすぎない。さらに具体的に説明するとサーバに保存されているデータを解釈して実行されるサービスはコピーできないということでもある。


「サービスはコピーできない」というのが、ここで重要な概念だ。どういうことか。銀行預金でいえば、残高に応じて、現金を引き出せるというサービスを銀行のかわりにユーザが真似することができないということだ。アバターの服でいえば、仮想空間ソフトを実行中に自分のキャラクターにサーバに保存している自分の服を着せたり武器を持たせて表示するというシステム自体をユーザはコピーできないということだ。つまりクラウド型コンテンツではサービスがクライアントに提供するデータはコピーできてもクライアントに提供するサービスそのものはコピーできない。


この結論をクラウド化されたパッケージコンテンツで考えてみよう。パッケージ型コンテンツをクラウド化したときにコピーが防げるのはサービス部分だけであり、コンテンツデータそのものはコピーされてしまうということだ。


さあ、ここまでくるとパッケージコンテンツのクラウド化が成功するかどうかのポイントがどこにあるかが明確になる。パッケージ型コンテンツのデータがコピーがされるのはしょうがない。コピーできないサービス部分をいかにユーザにとって重要なものに設計できるかどうかが成功の鍵になるのだ。


※3/9 ここから書き直し&補足


コピーできないサービス部分をどういうように設計すればいいかは、パッケージ型のコンテンツホルダーの未来にとっては本当は今後の死活問題になるが、コンテンツホルダー自身がそのことをあまりよくわかっていない。そしてコンテンツプラットホームホルダーの立場からすると別にどうでもいい事柄に属する。


このままいくとどうなるかだが、違法コピーの問題に根本的な解決がされないという状況が価格の下方圧力として働き、コピー原価は0円なのに金をとるの?とユーザから罵られながら、データを販売していくことになる。そんな未来を避けるためにはコンテンツホルダーはパッケージ型コンテンツをクラウド型に変換することが必要で、そのためになにがキーポイントであり、なにをプラットホームホルダーへ要求すべきかということを真剣に考えなければならない。


ひとつコンテンツホルダーが認識しないといけないことがある。クラウド型コンテンツになるためには、いままでやってきた売り切り型ビジネスを捨てる覚悟が必要だ。パッケージを手離れよく売っておしまいというのはとても楽なビジネスモデルだが、クラウド型コンテンツの時代には通用しない。これまで述べてきたようにパッケージ型コンテンツをクラウド化する際にはコピーできないサービス部分をいかに設計するかが重要だ。そのためには大前提として顧客データをコンテンツホルダーが直接把握することが根本的に重要になる。あたりまえで、売ったあとに顧客にサービスを提供するためには、だれがコンテンツを購入したのかを判別できないと話にならないからだ。


つぎに顧客データをコンテンツホルダーが把握したとして、どんなサービスを提供すればクラウド型コンテンツの価値が高まるのかを議論しよう。価値が高まれば購入したいと思うユーザの数も増えるはずだ。


ということで、ここでもういっぺんもっとも単純なクラウド型コンテンツのモデルとして銀行預金によるアナロジーを利用してみよう。


銀行預金がなぜ価値を持つのか、それは基本的には現金と交換できるからだ。でも、なぜひとは現金を手元に持たないで銀行預金を持つのだろうか?


人間が資金を現金でもつか銀行預金で持つかを決める力学とはどういうものがあるか?重要と思われる要素は安全性、利便性、必要性の3つだ。


・ 安全性:持っているお金を手元に現金としておいておくのと銀行に預けるのとどちらが安全と思うか?
・ 利便性:物やサービスをお金を交換する際に、現金でもっているのと銀行にもっているのとどちらが便利か?
・ 必要性:現金じゃないとできないこと、銀行預金じゃないとできないことはなにか?


これをクラウド型コンテンツの設計と合わせて考えていこう。


安全性についていえば、実はサーバにデータがおいてあったほうが安心だ。ローカルのデータなんてハードディスクが飛んだり、携帯端末なら落としたり、新機種に買い換えたりでなくなる危険性は高い。サーバにおいてありいつでもダウンロードできるほうが安心だ。もっとも、クラウドの業者側がなくなってしまうリスクが感じられるとこの利点は減少するのだが、どうせそのような業者は競争に負けて淘汰されるから、基本的には安全性というのはクラウド型コンテンツの最大の長所となりうる。ところが、現在のクラウド型サービスでは再ダウンロードができなかったりダウンロード回数が制限されていることが多く、その場合はむしろクラウドであるがためにデータが消滅するリスクが高くなる。これはクラウド型コンテンツの価値を下げていて、コンテンツホルダーにとっては長期的に大きなマイナスなのだが、それを要求しているのが、当のコンテンツホルダー側であるというのが皮肉な現実だ。サーバからの再ダウンロードを保証するのはクラウド型コンテンツにとっては最重要なポイントであり、それはコンテンツホルダーの利益になる。再ダウンロードについてコンテンツホルダーが自分の首をしめている懸念点としてもうひとつある。それは送信可能化権という概念だ。まねきTVの最高裁判決でもあるように自分が購入したコンテンツであってもクラウドにおいたデータの再ダウンロードが著作権侵害とみなされる可能性がある。契約で解決する方法もあるが、音楽著作権のようにJASRACの現在の規定では再ダウンロードの無償化に対応できないケースもあり解決が必要だ。


利便性についても考えよう。銀行預金の例でいうと、まず基本的に現金の形で変換しないといけない分だけ銀行預金はもともと不利である。この不利を打ち消す要素や逆に銀行預金のほうが便利なことはなんだろうか。不利を打ち消す要素として重要なので簡単におもいつくのはATMの数だろう。ATMがどこにでもあって利用時間や1日当たりの利用金額とか、そういう制限がなければないだけ、現金をもってない不利は減少する。パッケージ型コンテンツのクラウド化においてはあらゆるデバイスに対応することがこれに相当する。PCでも携帯でもiPadでも購入したコンテンツが利用できるということだ。銀行預金のほうが便利なことをつぎに考えると、それは他人の口座への振り込みだろうか。パッケージ型コンテンツのクラウドにおいてはローカルでのデータを自分でコピーするよりもサーバからダウンロードしたほうが楽である状況をつくれれば同じ事になる。この目的のためにはダウンロードされるデータにDRMをかけておくのは非常に有効な手段だ。DRMを外してローカルでコピーするよりもサーバからコピーしたほうが楽ならユーザはそちらを選ぶ。そのことによりサーバにおいている自分のデータの利便性は高まり、自分が所有しているという感覚は高まることになるのだ。これについても現在のコンテンツホルダーはデバイスが変わると同じコンテンツでも再購入を要求するケースが多い。でも、どうせほっといたらローカルで勝手にコピーされるデータなんだから、サーバ経由の別デバイスへのダウンロードを認めてあげることで購入したクラウド型コンテンツの価値を高める方法をとったほうがコンテンツホルダー側には本当は有利なのだ。


必要性とは利用を強制する仕組みだ。銀行預金の例でいうと、自動引き落とししたかったら、銀行口座をつくるしかない。もしくは給料の支払いが現金ではなく銀行振り込みしかやらない会社に入社した新入社員は銀行口座をつくらされる。こういうことに対応したクラウド型コンテンツでなければ受けられないサービスとはいったいなんだろうか?非常に多くの方法論がありそうだが、ぼくが考えるもっとな有望なもの、実効性のありそうなものをふたつ紹介すると、コンテンツのバージョンアップとパッケージコンテンツへのバンドルだ。


コンテンツのバージョンアップ:WindowsとOfficeが登場する以前にパッケージソフトウェア全盛時代があった。基本的にコピーが可能な世界でソフトウェアビジネスを展開してきた彼らのやりかたは大いに参考になる。多くの人が正規のパッケージソフトウェアを購入する理由のひとつに最新版への無償アップデートがあった。CD-ROMやフロッピーディスクコピープロテクトを外して違法コピーをつくってもバグなどを修正した最新版へのアップデート用のパッチソフトウェアが正規ユーザに無償で送付されると違法コピーユーザは型遅れのバグありのソフトウェアを利用している状況になる。もちろん再度違法コピーすればいいのだが、コピーの手間だけでなく、いつアップデートされたかもいちいち情報を入手するのも大変だ。このマイナーなバージョンアップの提供というのはコンテンツの正規版購入のための大きなプレッシャーとなる。パッケージコンテンツでも同じことをやればいい。電子書籍であれば、そもそも重版のときに誤字などを修正するわけだが、それが自動的に適用されるというのはユーザのメリットだ。誤字の修正とかいうけちなことよりももっと差別化をはっきりさせるため新章を追加したりだとか、一番最初はあとがきや解説がないとかでもいいだろう。音楽においてもカップリング曲なんかはいわゆるA面の曲の購入者におまけであとからあげればいい。あえて完成度の低い状態でコンテンツを提供してコンテンツが完成していく過程もふくめて購入ユーザに提供すればいいのだ。


パッケージコンテンツへのバンドル:コンテンツホルダーとプラットホームホルダーとの力関係において、現段階であればコンテンツホルダーが有利な点がひとつある。それはコンテンツのユーザ、とくにちゃんとお金を払ってくれるユーザの大部分はまだネットでダウンロードしたデータにお金を払うのではなく、リアルな書籍やCDやDVDなどのパッケージを購入しているということだ。コンテンツホルダーとプラットホームホルダーの力関係はプラットホーム上では圧倒的に後者が有利だ。にもかかわらずコンテンツホルダーはパッケージ市場とは別にデジタルコンテンツ市場を考えたがり、自分があえて不利な立場でプラットホームホルダーと条件交渉しようとしている。パッケージ市場とデジタルコンテンツ市場をリンクしてしまったほうがコンテンツホルダーの立場は強くなれることを気づいていない。僕は思うのだが、現状ほっておいても違法コピーが蔓延しているデジタルの世界なんだから、もはやパッケージの購入者にはネット経由でのデータダウンロードをバンドルしてしまえったほうがいい。これにより、コンテンツホルダーとプラットホームホルダーの力関係は逆転するのだ。複数のプラットホームがある場合、コンテンツホルダーにデータを無償提供の対象となるプラットホームホルダーとして選んでもらうことが競争上きわめて重要になるからだ。あたりまえだがプラットホームホルダーは分断し、競合させたほうがコンテンツホルダー側は有利だ。ところが現状あれほど敵意を剥き出しあっているアップルとグーグルですら、プラットホーム上での課金の囲い込みについては足並みを揃えるのを許している。コンテンツホルダー側にどうやってプラットホームホルダーと交渉していって有利な条件を引き出すかのまともな戦略がまるでないからだ。というよりいまのコンテンツホルダー側はなにが有利な条件なのかを理解していない。戦略を見失っている状態だ。とりあえず理解しやすい収益の分配率が高いとか安いとかで一喜一憂している。そんなのは無意味で、現状たとえいわゆるアップル税が30%で済んで自分たちは70%もらえると喜んでいても、こういう比率は長い目でみるとプラットホームホルダーとコンテンツホルダーの力関係を反映したものにどっかのタイミングで変更されるのは目に見えている。長期的にプラットホームホルダーとの力関係を有利にするための戦略がないのだ。プラットホームホルダー間を競合させるための最強の武器は既存のパッケージビジネスの中にある。また、リアルなパッケージ流通こそがネットのコンテンツプラットホームホルダーにとって最大の競合相手でもあるのだ。これをうまく利用できずに手をこまねいたまま、タイミングを失いかけているのがいまのコンテンツ業界だ。


まあいい、際限なく長くなりそうなので、コンテンツ業界がどうやってネットのプラットホームホルダーに対抗していけばいいかの戦略については別のエントリーでまた議論することにする。


補足追加で後半書き直すつもりだったが、最初、要点だけ書いておいた箇条書きのすべての内容を結局網羅した説明はできなかった。なので、最後にもともと後半にあった箇条書き部分を↓に残しておくことにする。タイトルに(完全版)と追加してあるが、(不完全版)の誤植でした。ご容赦ください。

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コンテンツホルダーが目指すべきゴールだけを箇条書きにする。なんか一番大事な部分をはしょっている気もするがまあいい。別にお金もらって書いているわけじゃないし、ご容赦いただきたい。これもいつものパターンだが、記事の反響があればここから先は補足して書き直す可能性もある。


・ 異なるデバイスへのコピーはローカルでやるよりも、サーバからダウンロードさせたほうがいい。だから、ローカルでコピーするよりもサーバからダウンロードするほうがユーザにとってとても楽であることが重要だ。手間の差を大きくするためにはDRMをかけたほうがいい。


・ コンテンツデータはバージョンアップ版を無理矢理にでもつくったほうがいい。より、クオリティを上げたものや不具合を修正した最新版を購入済みユーザにはサーバから無償でダウンロードできるようにすべきだ。これはローカルコピーじゃなくサーバからダウンロードするほうがユーザメリットがあることをDRM以外の方法で正当化することにもつながる。


・ 追加コンテンツ、おまけコンテンツを購入者に提供できるようにする。当初は無償が望ましいが、将来的にこれは有償化してコンテンツホルダーの収益を拡大する重要な武器となる。


・ iOS端末とアンドロイド端末のように複数のデバイスでも購入したコンテンツは相互に利用可能であることが重要。利用できるデバイスの数が増えれば増えるほどクラウド型コンテンツは価値が高くなるという性質を持つ。


・ 対応デバイスを拡大する切り札として、コミュニティをもつネットサービスを仮想デバイスと考える手法がある。コミュニティ内での購入者同士がコンテンツを利用できる仕組みだ。これはネットサービス自体を囲い込み競争をおこなっているapplegoogleはとりにくい戦略で差別化要因になりうる。


・ 上記のゴールを実現するためには現状のコンテンツプラットホームが提供している機能では不十分。ポイントは課金の自由化と顧客情報の開放。


・ 対プラットホームホルダーへの交渉戦略の基本をひとことでまとめると、クラウドからコンテンツデータの提供だけでなくサービスの提供までも認めさせること。そのためには各プラットホームホルダーを分断し、顧客情報を提供してくれるところにだけクラウドからサービスを提供すればいい。


以上

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