くそなモデムがバカ売れした理由についても話す

この前のエントリを、サポートが評判よかったのでモデムが売れまくったという話に受け取ったひとが多かったが、それは間違いなので補足したい。
そもそも世の中にサポートが良くてヒットする商品なんてない。サポートがよくてヒットするなんてことがあったら、大変な美談になって“ちょっといい話”になるところだとは思うが、現実はもっと夢がないものなので、そもそもモデムがなんでヒットしたのかについて補足しようと思う。


サポートではモデムが売れない理由は簡単だ。サポートがよいことによる販売数量の増加効果は購入した人のリピートか、まわりのひとへの口コミ効果によってしかあらわれないからだ。つまり売れた後に中長期的に効果が現れるパラメータであって、最初に売れる理由にはならない。
じゃあ、最初に売るために必要なのはなにかというと、まあ、人間がモノを購入する過程をモデル化して以下の順序で脳内シミュレーションすれば推測が可能だ。


(1) ユーザがどこで商品のことを知るか。
(2) どういう情報でユーザは購入を判断するか。
(3) (1)のユーザの数はどれくらいか、(2)の割合はどれくらいか?


まあ、簡単にいえば、どこでどれだけユーザに露出をして、購入にまで結びつけるかということをパターンで分類してよくよく考えてみるということだ。


モノが楽に売れることを目指すときになにを狙わなければいけないかというと2つある。ひとつは世間一般に、このジャンルといえば“XX”が一番有名、もしくは売れている、または無難っぽい、という”常識“をつくることだ。
もうひとつは顧客が存在する導線をたくさん味方につけることで、具体的には有力な販売店で一押しの商品にしてもらうということだ。


モデム以前にぼくが手がけた商品は米国Diamond社のビデオカードだったりAdaptec社のSCSIカードだったり、既にワールドワイドでブランドが確立しているものばっかりだった。そういうもののマーケティングは楽勝だった。コアなユーザはすでにネットでも情報交換されているから、たんにちゃんとした日本語版がでて、サポートも受けられるということをアピールすれば、まず、顧客の指名買いがはじまる。そうすると秋葉原などでの有力販売店は基本的にユーザに媚びるから、自動的に店頭でそのジャンルの売れ筋のポジションを獲得できる。


当時は雑誌の影響力はかなりあったから、日経パソコンDOS/Vマガジン、アスキー系の3つに広告をだしておけば、客、販売店双方の認知度と信頼度はあがり安心して買える雰囲気ができる。あとは記事を書いてもらうのにてっとりばやくて多用したのは外人だ。外人というのは素晴らしい。とにかく米国から有名企業の重役がきてインタビューを受けるというとだいたい取材にきてもらえた。


あとは並行輸入をやっている販売店をひとつひとつまわって日本語版もおいてもらえるように説得した。別に米国の仕入れルートをつぶす必要なんてなかった。価格差は2割高くなるぐらいまでに押さえるだけで十分だった。それぐらいの価格差だと、ユーザが日本語版を選ぶし、サポートの保証無い製品を売るリスクの面倒くささを考えると、マージンがたいして変わらないのなら、結局、販売店も日本語版を売ることに力を入れる。


モデムの場合はこれらのノウハウは使えなかった。同じやりかたでやるなら当時US.Roboticsという製品が一番有名でここの代理店権を獲得するのが正しかっただろう。ところが、モデムというのは性能の差がほとんどでない製品であって、だから、ブランド力の対価として比較的高価な値付けをしているUS.Roboticsを日本にもってくると、国内のアイワ、オムロンなどと価格競争力がでない分、不利だ。


また、JATEという認可を国内でとる必要があって、日本版をハードウェアから生産する必要があった。なのでUS.Roboticsというビッグネームとの取引はコミットする数量が高くなる方向に作用するだけで、ビジネスリスクも増える。そう考えてモデムについては、低価格な台湾からOEM調達し、自社ブランドを一からつくるという初めての手法で勝負することにしたのだ。


なにしろ聞いたことのない自社ブランドなので、コアユーザ間での世論の後押しはまったく期待できなかった。そうなると信頼性の低さを値段の安さでカバーする商法が一般的だ。しかし、それだと儲けもすくないし、それはそれで競合もたくさんいるから、数量もさほどでない。


そこでぼくが考えたのが当時はだれもやっていなかったおまけソフトの大量バンドル作戦だ。DOS用のパソコン通信ソフト、FAXソフト、Windows用のパソコン通信ソフト、FAXソフト、インターネットブラウザを数量コミットして低価格でライセンスをうけて全部バンドルした。全部バンドルというのが重要だ。それは店頭での質が高くないことが多い販売員でも説明が楽だからだ。ブランド力がない段階では、最大の告知手段は店頭だ。

手に取っただけで、全部のソフトがついていて簡単安心と思えるパッケージづくりに時間をかけた。最終版のパッケージデザインができるまで3回ぐらいダメ出しをして、つくりなおした。製品の発売スケジュールを遅らせてもパッケージの完成を優先させた。


これでいけそうだと思えるパッケージのサンプルができたときにすぐにそれをもって秋葉原のショップをまわった。自社ブランドのモデムなんてうれないよって断言していたソフマップの有名バイヤーが、ぼくらのもってきた化粧箱のサンプルを見た瞬間に、その場で200本の発注をくれた。モデムそのものはみせていない。ブランドもないというか発表すらしていない箱だけの製品だ。


そして価格設定である。アイワ、オムロンの場合は店頭価格が3万円前後だったので、たぶん25000円ぐらいでショップは仕入れていたのだと思うが、それよりも安い21000円で卸して、“希望”店頭価格を28000円ぐらいでショップには説明した。そうするとマージンは7000円となり、アイワオムロンでの5000円よりもショップは儲かる。かくして無名のモデムは発売初日から秋葉原の有力ショップでアイワオムロンよりもいい場所で平積み販売されることになった。


しかし、いくら28000円ぐらいで売ってくれと希望しても、商品力がなければすぐに投げ売りがはじまり値崩れをおこすので意味はないのだが、実際は飛ぶように売れた。むしろアイワ・オムロンの無骨な段ボールの箱よりもユーザは店頭でぼくらのモデムを選びたがり、しかもすぐ品薄になったので、店頭価格は逆に31500円に跳ね上がった。卸価格は変わらなかったから、ショップにとってみたら、あるジャンルの売れ筋商品が突然5割マージンをのっけて売れるようになったということだ。そりゃショップも力をいれて販売する。


雑誌には評価記事用の貸し出しはまったくしなかった。どうせ、無名ブランドのモデムなんてあんまり興味ないだろうし、書いてもらっても、読者が買いたくなる記事ができるイメージがまったくもてなかったからだ。


雑誌には記事は書いてもらわなくても広告は掲載した。そのときにこだわったのは掲載位置だ。表まわり(裏表紙、裏表紙の裏、表紙をひらいた次の見開き)以外は出稿しなかった。無名ブランドが広告を掲載するのは店頭で興味をもった商品を購入する最後の一押しとなる安心感を与えるためだ。アイワ・オムロンよりもいい位置に掲載されていなくては意味がない。そしてパッケージと同じく安心・簡単・なんでもはいっているというメッセージが伝わるような広告にした。


ちなみにふつうは常識的にモデム本体の写真をでかく表示するのが常識だが、なにしろ台湾のOEMだし、費用と時間がつくるのでオリジナルの筐体用とかつくってない不細工な本体だったので、よくわからない程度にすごく小さくしか表示しないことに気をつけた。


以上が、モデムが売れるためにぼくがやったことだ。売れたこととユーザサポートはあまり関係ない。ただ、そこで足をすくわれてその後の販売に悪影響がでなかったというのはある。


ただ、そのあともモデムが売れ続けたのも原動力はバンドル商法だった。一番、最初の通信ソフトのバンドルは1年もせずに他者が真似してきたのは想定内だた。よりコストの安いOEM調達元に切り替えたタイミングで、モデム本体の性能は変わらないのだが、筐体の形状がかわったので、バージョン2ということにして、バンドルソフトを追加して売り出したら、これも売れまくった。


競合他社に真似できないバンドル商品ということで考えたのが、自社モデムユーザ専用の無料プロバイダをつくることだ。光回線256KbpsとISN1500で23回線しかないプロバイダを見よう見まねでつくってみた。ユーザに無料配布するID/PASSが数十万件あったので、認証用のRADIUSサーバだけフリーのソースコードのバックエンドをMSのSQLサーバに置き換えれば楽勝だとおもって、見積もりをとったら700万円といわれたので、結局、自分で土日をつかってソースコードを書き換えた。ちなみに、それが、ぼくが自分で書いた最後のプログラムになった。


無料プロバイダ以外になんかおまけをつけれないかと思って、なにか、通信ゲームがいいだろうというので、世界中を探して見つけたのが、FPSの原点といえる名作ゲームDOOMを電話回線をつかって対戦するパソコン通信サービスであるDWANGOだ。DOOM以外にもIPXをつかったLAN対戦ゲームのほとんどに対応していた当時としては画期的なサービスだった。さっそくモデムのおまけにつけるためだけに米国にいってライセンス契約を締結し、日本でDWANGOサーバの運営を開始した。


さすがに無料プロバイダもゲーム専用パソコン通信サービスも競合他社は追従してこなかった。日本の会社は競合会社のやることを真似するという戦略をとることが多い。これを許すと消耗戦にひきずりこまれる。そのためには、量と質を競合会社が真似することが不可能なところまでにもっていくことが重要だ。そうすると、一部だけ選択して真似することをはじめ、結果、まがいものだったり2流品であったりといういわゆる“劣化コピー”のイメージがつきやすい。


最後に、ぼくの我流なマーケティングでよく使う思考法について説明する。ぼくは上に書いたようなマーケティング上の施策をすべて脳内で簡単な数理モデルにあてはめていって数値的なイメージを持ちながら考える。数理モデルといってもたいしたものじゃなくて、実際には思考のフレームワークに数学のアナロジーを用いているだけだ。ぜんぜん数学でもないし、厳密な議論でもない。


たとえばモデムをある数量売るということをテーマにした場合に、サポートがいいというのは2次微分の係数に関係する話だと、ぼくは考えることにしている。なぜ2次かというと、さきほどの説明のようにサポートは売れる本数じゃなくて、売れた後の販売数量の増減にかかわってくるパラメータだからだ。ものを売ることを考えるには、基本は1次微分の係数にかかわることを中心に考えなくてはいけない。母数となるのは雑誌だったら発行部数だったり、お店だったら、その店で一ヶ月に売れるモデムの総数とかをあてはめる。

そのなかである割合が自社製品を購入してくれわけだが、その数値がマーケティングの施策によってどういうように上下するかを見極めることが大切だ。その数値を直接上下させる要素はかなり限定される。価格とかはわかりやすい。こういうものは一次微分の係数としてぼくは考える。サポートとかは直接には購入比率の上限には貢献しないが、長期的には購入者からのフィードバックという形で影響する。こういうものは2次微分の係数として考える。同様に3次微分に相当するマーケティングの施策も考えられるが、3次以降は通常無視していい。

ブレストとかやると、いいアイデアというのがたくさんでてきて、どれもやったほうがいいよね、でも全部はできないね、という話によくなるが、まずはアイデアが、目標となる数字にたいして、何次元的にプラスの作用をもたらすのかというのを考えてみるのは有効だ。具体的に数値をあてはめて定量的な類推をするのには相当な経験が必要だが、次元だけなら、まだ、入り口としては、わかりやすい。

基本は一次元、やって二次元、三次元以降は無視だ。(ちなみに次元という言葉を選んで使っているのは、ぼくが脳内で幾何学的なイメージでシミュレーションしているからだ)


脳内で数値的なイメージをもちつつマーケティングをおこなうときに、ぼくは、あんまり自分のつくった計算式や数値にふりまわされないように気をつけている。いいかげんな計算イメージをもつほうが正しいと思っている。


マーケティングに計算式とか数値を多用するひとをみていてよく思うのは、自分のつくった数理モデルに対する過度な信仰だ。信仰にも似た自信は、自分のモデルが現実と一致しているかではなく、現実から数理モデルへの抽象化のプロセスがどう教科書的に理にかなっているかで担保されている。


で、不確実な部分をなぞのパラメータxにあてはめて、このxさえ計算できれば答えはでます。みたいなことをいったりする。式自体は理論的に正しいというわけだ。そしてここはいきなり勘です。といってxの値をだしてくる。


販売数量を勘で予測すればすむ話を、わざわざ計算式をつかって、なぞのパラメータxにおきかえて、xの値を勘でだすなんてまったく意味がない。その数字は販売数量を勘でだしてものから逆算しているだけじゃん。


だいたい数理モデルをつくるときというものは、販売数量であれば販売数量と、どういう他のパラメータが関係があるかを明らかにして、しかもそのパラメータが、より類推しやすいものであることが必要だ。


およそ現実の問題を数理モデルにおきかえるときに、一番、難しいのは実用的な数理モデルをつくることであって、たいていの場合はほとんど不可能に近い。不完全なモデルを試行錯誤しながら、現実と照らし合わせて、より矛盾が少ないものへと変化させていくことになる。だから、完璧な式をたてようというひとは、より計算式として完璧になればなるほど、どこかより現実と矛盾のある部分を増やしているだけになっていることが多い。


なのでモデルは基本的な構造を理解することが重要で、パラメータの推定は都度検討して現実と乖離しないように調整していくほうがいい。そう思って、ぼくは、いつも脳内でいい加減なモデルをつくってはこわしながら、つぎになにをすればいいか考えている。