ひきこもりのための新社会人生活
先週の月曜日の午前中、なんとなくネットサーフィンしていたら、なんと会社では入社式をやっていることがわかった。なるほど。去年までは入社式の予定がいつのまにか入れられていて、めんどくせーと、毎年、無視して行かなかったのだが、とうとう今年は連絡も案内も来なくなったらしい。いつのまにかやっていたのだ。
さて、というわけで4月は新社会人がたくさん誕生するシーズンである。新卒信仰を批判するひとは多いが、会社にとってやっぱり新卒者とはとてもいいものだ。社会人生活なんて、たいていはろくなもんじゃないから、数年たつとどんなにフレッシュでやる気のある人間でもだんだんとすれてくる。中途採用でもある程度年齢が上になるともう新しいことに挑戦できるひとはなかなか採用できない。その点、新卒はなにしろ世間を知らないので、面倒くさいことあんまりいわないし、とりあえず挑戦しようというやる気があることが多いので、やっぱり会社にとって使いやすい人材であるというのは否めない。
とはいえ、そのことをうまく利用し、大量に新卒を採用しては過酷な営業をさせて2,3年で使い潰しては入れ替えるというひどい企業も世の中には存在する。というか、むしろわりと一般的な手法であるとさえいえる。学校の中でコミュニケーション強者に虐げられてきたひきこもりのみなさんだとは思うが、社会とはそんなコミュニケーション強者すら、使い捨てにされる恐ろしいところだから、みなさんみたいな、ただでさえ人付き合いが苦手で、あなたを助けてくれる仲間との絆なんて二次元の中でしかみたことがないというひとたちは本当に大変な未来が待ち受けているに違いない。
そういうわけでひきこもりのみなさんがどうやってこの社会の荒波をくぐりぬけていけばいいかについて、いいかげんなアドバイスをしたいと思う。
まずは新しく社会人になれたひきこもりのみなさんに心からおめでとうといいたい。よくぞ就職できました!
最近の企業はどこもかしこもコミュニケーション能力を重視するので、その時点でひきこもりには大変なハンデキャップだ。にもかかわらず、なぜ、就職がうまくいったのか?学歴だけはたまたまあったか、主に理系の場合であれば専門的な能力があると判断されたか、なにかコネがあったのか、だれでもよかったのか、まあ、だいたいそんなところだろう。
ひきこもりの新社会人にとって最初の難関は、同僚と仲良くなることだ。まだ、だいたい、中学、高校、大学と経験を積んできていればいくら社交性のないひきこもりのあなたでも、これからの職場の人間関係において最初の一ヶ月がどれほど重要かは理解していることと思う。そう、ここで仲のいい友達をつくれなかったら、ずっとぼっちとなる可能性は高い。
とくに同僚の中でも同期入社組というのは連帯感ができやすい。一生の友人となる可能性も高いだろう。会社が新入社員研修をする大きな目的のひとつは同期の社員を仲良くさせることだ。社内に仲良しがいない社員はいくら優秀でも、いずれ会社を辞めてしまう確率が高くなるのだ。また、たとえ会社を辞めてしまっても最初の会社の同期組とは連絡をとりあったりして、後々の人生で大いに役に立つことになる。だから、大学までの友人関係なんてとりあえずほったらかしにしてでも、新しい会社での人間関係の構築にはエネルギーを注いだほうが絶対にとくだ。ちなみに僕は新卒の時、同期の社員と飲みに誘われても、早く帰ってパソコン通信をしたかったのでいつも断っていた。なので会社を辞めて以降、連絡くれるひとはひとりもいない。あ、大学の友達もゼロで、高校だけ、やっとふたりいる。
さて、仲のいい同期をつくる場合にはどういう相手を選択すればいいのだろうか?基本は人間は似た人間とつるむ。だから、ほっとくと同じひきこもりどおしのグループに所属することになるが、ひきこもりというのははっきりいってマイナスの属性なので、できるだけプラスの属性で似た人間とつるんだほうがいい。逆にいうとなにかプラスの属性を磨く努力が重要だということだ。そういえば、このあたり昔のブログ(コミュニケーション能力に本当に欠けるひとの他人とのつきあい方)でも書いた。読み返すと、(いまもそうだが)、当時は今以上に心が病んでいたことがわかる文章だ。
まあ、しかし、ひきこもりが同期と人間関係をつくるのは結構、難易度が高い。まあ、一応、同期のよしみで輪の中には入れてもらえても、たぶん、あなた以外のみんなはもうひとつ内側の輪の中にいること思う。無理な場合は、ここは無駄にあがくのはやめておいたほうが無難だろう。どうせ苦手な分野だ。
同期が難しければ、先輩や上司と仲良くなることに力をそそごう。実はここはひきこもりにとって若干得意な分野だ。やはり同期で仲良くなるというのは基本的には対等な人間関係をみんな望むのである。だから、リア充でコミュニケーション能力高い人間でも立場が上の人間との付き合いは下手ということが結構多い。その点、ひきこもりのあなたはもともと社会的に虐げられた低い地位に慣れているから、上司や先輩との非対称な人間関係のほうが得意なはずだ。そう、求めるべきはあなたを対等な仲間として見てくれ、お互いを認め合った友情で結ばれた仲間なんかじゃなく、あなたのことを使える道具ぐらいにしか見てなくて、たんに仕事上の利害関係でのみ結ばれた支配者なのである。
どういう上司や先輩と仲良くなるべきか?損得で考えるといくつかのポイントがある。たとえば、有能な上司がいいか、無能な上司がいいか?これはあなたが有能かどうかによっても変わる。あなたが有能だったら無能な上司のほうが都合がいい。抜擢されるのはそういうケースだ。面倒見がいい上司というのはどうなのか?しばしば部下と仲良くて会社の愚痴とかを一緒にいいあってくれる上司というのは社内では非主流派で不満分子とみなされている場合の特徴だ。そんなところにいたら、将来の芽はない。基本は社内で主流派で将来有望な上司の下につくのがいいのはいうまでもない。
どこまで会社に人生を捧げればいいのかというのも難しい問題だ。よく日本は企業はブラックで海外の雇用関係はもっと公平で労働者の権利が守られているとかいうひとがいる。たとえば仕事の内容についても、海外だと雇用時に決められた仕事以外はやらなくてもいいが、日本だとどんな仕事でもやらされるし、掃除みたいな雑用まで押しつけられる、とかとか。
ひとついえるのは決められた内容の仕事を決められた時間だけ働けばいいという雇用形態は、一見、労働者に有利に見えるのだが、経営者からみた場合、そういう労働者はとっかえのきく部品のような存在でしかないということだ。そういう労働者ばかりだと、雇用の流動性が高くなるのも頷ける。だってとっかえがきくから。しかし、そういう労働者の給与が高いかというと、そういう仕事ほど実際には賃金は低下する。競争にさらされるからだ。特に現代はそれがグローバルな競争になる。だから、自分自身の損得だけを考えると、いろんな仕事をやっていて、奴をいなくなるとめんどくさい、という存在であるほうがなかなか首になりにくいし、給与も下がりにくい。
それともうひとつのテーマは人生の時間をどれだけ仕事にささげるかであるが、とっかえのきく部品のような労働者になることを目指すなら別だが、そうでないなら、やはり他の労働者と競争するということになる。そうなるとやっぱり人生の時間をなるだけ多く仕事に費やした方が競争では有利になるのは当然だろう。とくに若い時分は残りの人生の幸せを考えると、大変に遺憾ながら、会社のために身を粉にしてはたらくほうが自分にとっても結局は得になるケースが多いだろう。
これは別に残業しろといっているわけではない。プライベートの時間も仕事に役に立つ使い方をしたほうがいろいろと得だという話だ。とくにひきこもりのみなさんにとって、人付き合いのうまいリア充たちとの競争を考えるとその重要性は明らかだ。人付き合いのうまいリア充は今日も明日も会社の同僚、上司、取引先のひとたちと飲み食いしたりして付き合っているに違いない。その時点で差は日々開いているのだ。幸運にも人付き合いのためにとられる時間が圧倒的に少ないひきこもりのひとは、それを仕事に役立つような自分の能力向上だったり、仕事での課題をどう解決するかを客観的に見つめ直すために使うべきなのだ。やはりいつでも仕事のことを考えている、アイデアを出すような仕事だったら、そういう人間しか競争には勝てない。ちなみにぼくはサラリーマン時代はできるだけ早く帰宅して前述のネットだったりゲームしたりマンガを読んでたりして時間を費やしたし、仕事中も半分の時間はネットサーフィンに興じた。身をもってそういう仕事スタイルの無意味さを知っているので、せめてもの贖罪として同じようなことをしている社員は絶対に許さない。
ひきこもりはつい仕事の現実から逃避して、趣味の世界に人生の主軸をおきがちになる。しかし、たいていのひとは仕事をしている時間が一番に長い。その仕事の時間が辛くなるような生き方が得だとは思えないし、実際、仕事で評価されないといろいろと人生に支障を来す。鬱病なんかになったら大変だ。基本、鬱病の薬なんて一時しのぎでしかないから根本的な解決にならない。カウンセラーは根本的な解決のためには環境を変えるべきだ、辞めたほうがいいとか、会社のリストラの手伝いみたいなアドバイスをすることだろう。一時的に働かなくても給与を保証してくれる程度が関の山だ。ただでさえひきこもりは人生を生きることが苦手なのに、さらに困難な道を歩かされることになるのだ。
ひきこもりのひとは、ついつい社会が悪いとか会社が悪いとか、自分の境遇の原因を外部に求めがちだ。まわりは自分を助ける義務があるとか考えてしまう。しかし、はっきりしているのはあなたが正しいかどうかは置いといて、あなたが正しいと思う世の中なんてこないし、会社もたぶん変わらない。あなたを助けてくれるひとの善意を当然と思っていたら、どうせ裏切られるだけだ。結局、頼れるのは自分だけだ。
辛い人生を送った人は自分が傷つかないようにと過度に防衛的になりがちだ。しかし、会社からできるだけ利用されないようにしようという態度は残念ながら、結局はさらに多くのものを人生で失うことになりかねない。ブラック企業に騙される人生はとんでもないかもしれないが、結局は、相手を選んで騙されるほうが幸せになれるんじゃないか。そう思います。