スーパーマリオ3Dランドが素晴らしいわけ

もう発売されて2ヶ月になるが任天堂3DSソフトの「スーパーマリオ3Dランド」が素晴らしい。


巷ではソーシャルゲームスマートフォンが流行っている昨今ですが、そんな時期に任天堂が古き良きテレビゲームのひとつの究極的な進化形であるといっていいゲームを出したわけだ。


およそ理想のテレビゲームとはなんだろう?


ひとつの理想は間違いなく万人が楽しめるゲームであるということだ。年齢趣味趣向を問わないだけでなく、ゲーマーとしての腕前の巧拙にかかわらずにだれでも楽しいゲームというのが究極の目標であるはずだ。


これはもちろんゲーム会社として特に任天堂のようなトップ企業にとっては最大限の顧客をターゲットにするためにはとても大切なテーマになるのは当然だが、ゲーマーにとっても重要なテーマになる。なぜならゲームなんてひとりでやっても楽しくないからだ。まわりの友達や家族といっしょに遊べてこそ、本当に楽しいゲームとなるからだ。


スーパーマリオ3Dランドの出来の良さで、あちこちのレビュー記事で第一に指摘されているのは、3DS上ではじめて3D立体視をうまくゲームに取り込んだ本格的なゲームであるということだ。


もちろんそれも素晴らしいのだが、それ以上にぼくが感動したのは完璧なまでのゲームバランスの設計の良さだ。


あるタイプのゲーマーを想定して、彼ら用にゲームバランスを最適化されたゲームをつくることは、もちろんそれだけでもすごいことなのだが、まあ、ありえる。


しかしながら、いろいろな熟練度のゲーマーのだれが遊んでも最高のゲームバランスというゲームをつくることは非常に難しい。


いまの多くのゲームはゲームバランスを難易度の選択という形で調整する手法をとっている。イージーとかノーマルとかハードとかだ。でも、これだと難易度ごとに実際には別々のゲームを遊ばせているのに等しいのだ。そして多くのゲーマーは自分に最適な難易度がゲームを実際にやってみないと分からないという根本的な問題がある。


スーパーマリオ3Dランドは難易度なしに、つまりどんな熟練度のユーザに対しても同じゲームを遊ばせながら、同時に優れたゲームバランスを提供をしているというのが本当に素晴らしい。


これがどのようなアーキテクチャーで実現されているか、ちょっと整理してみた。基本として重要なのは次の4つだ。4つというのもちょうどいいバランスだ。プレゼンテーションしやすくてありがたい。


(1) ゲームの目標までのルートが基本的には一本道であるにもかかわらず、寄り道や別ルートが可能になっている。
(2) 熟練者だからといってゲームが有利にならない。
(3) 何度も同じゲームをさせる仕組みが組み込まれている。
(4) ゲームの進行に何度も失敗するとだんだん強力な補助アイテムが出現する。


(1)については自明だろう。スーパーマリオ3Dランドは、ステージをクリアするためにはスタート地点から旗のたっているゴール地点までいけばいいだけという非常にシンプルなルールだ。このゴールまでいくためにはまっすぐいってもいいし、途中で寄り道をしてもいい。ドラム缶にもぐったり空に昇って雲の上を進んだりする別ルートをとることもできる。このシンプルかつ自由度の高い仕組みのため、同じステージでも何回も楽しく遊びつづけることができるようになっている。しかも、これは(2)に関係する話だが、実はもっとも簡単なステージをクリアする方法というのはコインをとったり余計なことをせずにまっすぐいくことなのだ。寄り道をしたり、コインを集めたりするのはあくまでプレイヤーがそのほうが楽しいから勝手にやっているだけで、ゲームをクリアすることにはあまり関係しないというのが大きな特徴だ。


(2)についてもっと説明すると、スーパーマリオ3Dランドのゲームバランスがうまいなあと感心するのは、ゲームの熟練者がアイテムとかをとりにいって成功したとしても、あまりゲームを有利に進めることができないという点だ。代表的なのはスーパースターだ。これを取ると敵にぶつかっても死ぬのは逆に敵のほうというとても強力な無敵アイテムだが、時間制限があるため、とったプレイヤーは大抵の場合は慌てる。そしてジャンプに失敗して穴に落ちて死ぬというのはよくみかける光景だ。スーパーマリオ3Dは熟練者がより高度なプレイに挑戦すると、死ぬ確率がむしろ高くなるというバランスになっているのだ。これは多くのテレビゲームの場合は逆だ。攻略サイトにのっているような知識を駆使して、秘密のアイテムを取らないと、難易度が高すぎてゲームを進行させるのがとても難しかったりする。攻略サイトの存在も知らないような初心者プレイヤーに一番難しい難易度のゲームをさせるようなシステムになっているのだ。


遊びとはもともと自己満足なものである。ゲームの難易度はプレイヤーが自分で勝手にハードルをあげて遊べるような設計になっているほうがいい。難易度をむやみにあげて、それ以上ゲームを進めないようにすると、どういうことになるか。そこから先を一緒に楽しめる友達の数が減る。そうなるとそれ以上プレイしても友達の中でおれすげえと自慢することすらできなくなる。そしてだいたい難易度は高い部分はクリアする方法は一種類しかなかったりすることが多いから、難易度のわりにクリアする喜びどころかやらされている感が増えていくのだ。


思い出すのはダンスダンスレボリューションがゲームセンターで流行ったときだ。ゲームクリアとはまったく関係ないが、いかに格好良く踊るかをみんなで競った。ゲームの自由度の高さとはそういう方向に使われるべきなのだ。やっぱりゲームはごっこ遊びであるべきだ。


(3)は今回一番感動した。ステージを最短コースでクリアすると手に入らないが、寄り道すると手に入るスターというアイテムを集めるというシステムがあって、実はこのスターを一定数、集めないと遊べないステージがあるのだ。つまりその隠されたステージを遊びたかったらスターを集めるために、すでにクリアしたステージを何度もやりなおす必要がある。しかも、まあ、そんなのも必要ないおれは楽ちんプレイだけでゲームクリアを目指すんだとぬるいことを考えていても(←僕)、ワールド6までいくと隠されたステージどころか、それ以上次のワールドにいくためにスターが必要になる。だから、結局、ゲームを最後まで遊びたかったら、すでにクリアしたステージを何度もやりなおさないとどうしようもないというシステムが最初から組み込まれているのだ。既存のゲームの多くは難易度下げたら、どんどんプレイヤーを先に進めてほったらかしだ。本当のゲームの面白さを味あわせずに、ただ先に進みたいというプレイヤーの欲望だけをかなえようとする。でも、本当に面白いゲームをつくったという自信があるなら、ユーザをなんとかだまくらかして教育的指導をおこなってでも、その面白さを味わえるだけのところへユーザを誘導しなければいけないと思う。スーパーマリオ3Dランドはまさにそのことを実践しているのだ。


(4)については、それでもステージをクリアできないプレイヤーにも最低限のゲームの中身は見せていこうという姿勢だ。5回失敗すると、自動的に超強力な補助アイテムが出現し、無敵状態になって敵の攻撃でしななくなる。それでも失敗すると、ゴールのすぐとなりまでワープできるアイテムまで出現する。最後についてはやりすぎじゃないかと思ったりもするものの、ゲームの面白さを伝える最大限の努力はしながら、それでも救えない技術レベルのプレイヤーまでもゲームに参加できるように努力したことは素晴らしいと思う。


驚くべきことは読んでわかるように、これらの要素、とくに(1)と(2)については、初代スーパーマリオブラザーズより一貫した設計思想であるということだ。インベーダゲーム以降、ハイスコアを競い合うゲームばかりだったテレビゲームの世界ではじめて点数でなく、ゲームの中の世界を楽しむということに主眼をおいた画期的なゲームが初代スーパーマリオブラザーズだったのである。


スーパーマリオ3Dランドは初代スーパーマリオブラザーズから目指している万人のためのゲームという理想を、もっとも高いレベルのゲームバランスで実現した世紀の傑作だ。あまりに素晴らしくて、まだ、ゲームをクリアしてない状態で友達に貸したら返してくれなかったので、まだ、ゲームは途中なのだが、あのままいけば確実に飽きっぽい下手くそな僕でも最後までクリアできた数少ないテレビゲームになるところだった。


そしてやっと先週返してもらって、こうしてブログを書いている。


というわけでいいから買え。そしてやれ。